ソシオパスの幻影2

 ソシオパスは精神科の診断名ではないし、不正確な概念なのでぼくはこのことばを使いませんでした。でも考えてみたらそういう不正確な概念の方がいいのかもしれません。

 ソシオパスを「社会病質者」という人もいます。「パーソナリティ障害」、そのなかの「反社会性パーソナリティ障害」に近い概念として語っている人もいる。いろんな人がいろんなことをいっているけれど、本人たちにしてみれば、反社会性パーソナリティ障害とか社会病質者とかいわれるよりは、ソシオパスの方がずっといいかもしれない。精神医学的にはいいかげんな呼び方であっても、いいかげんな分、差別感は少ないかもしれない。

 これにはぼく自身の反省があります。
 かつてぼくはテレビの報道番組で、ある当事者を紹介するのに「人格障害の何々さん」と字幕をつけたことがありました。もちろん本人の顔と名前とともに。精神障害者が顔や名前を出してメディアに登場するなら、正確な病名も出した方がいいと話しあい、本人もひとまず了解したうえでの字幕でした。
 放送後、やめればよかったという気分がつのりました。自分が「人格障害」という看板をつけられたらいい気分はしない。病名に当事者本人が嫌悪感を抱くのなら、そこは考えくふうしなければいけませんでした。

 別の機会に、別の精神科の当事者がいっていたことがあります。精神科医に自分の病名は何かとしつこく尋ねたら、何度目かの外来で「統合失調症に近い」といわれた、そのときです。
「ああ、よかったー、って思った」
 心底安心し、ほっとした。
「もう、性格悪かったらどうしようかと思って」
 その意味は、あとになってわかりました。
 彼女は精神科の病気には統合失調症などのほかに、人格障害やその系統の病名があると知っていました。そして自分が人格障害系だったらどうしよう、それは性格が悪いってことだと、とても心配だったのです。統合失調症系といわれ、深く安堵したのでした。
 そういう彼女のなかには、誤解と偏見があったといえるでしょう。人格障害はかならずしも性格が悪いということではありませんから。

 でも病名はそういう印象を与えてしまう。だから20年ほど前から人格障害はパーソナリティ障害と呼び方が変わっています。それでも納得できない、もっとほかの呼び方はないのかと当事者がいうなら、医師は、社会は、その気持ちを斟酌すべきでしょう。医学的にあいまいであっても、ソシオパスというような呼び方をもっと使うべきなのかもしれません。
 ロサンゼルスの当事者、パトリック・ガーニュ博士のように。
(2024年2月29日)