ソシオパスの幻影

 ソシオパス。
 まともな精神科医はあまり語りたがらないテーマでしょう。ソシオパスだとかサイコパスだとかいって声を高くするのは、おおむねいいかげんなウェブサイトです。冷血で異常な犯罪者だとか、犯罪者の予備集団だから出会ったら絶対避けるべきだ、などなど。精神科のなかでも、ことに誤解と偏見の対象になる人びとでしょう。
 その当事者で、自分はソシオパスだと公言するロサンゼルスの心理学者が自伝を書きました。著者インタビューを読んで、当事者への理解が少し進んだ気になります(What It’s Like to Be a Sociopath. Feb. 25, 2024. The New York Times)。

 自伝を書いたのはパトリック・ガーニュ博士、男性のような名前だけれど女性です。7歳のころから自分は人とちがうと気づいていた。衝動的な暴力や逸脱行為をくり返し、学生時代にソシオパス、精神科の言い方では反社会性パーソナリティ(人格)障害と診断されている。そういう自分を知りたくで、臨床心理学を専門とする学者になりました。彼女はいいます。

パトリック・ガーニュ博士
(本人の Instagram から)

「ソシオパスは危険な精神障害とされ、よくは思われない。でもそれは一面にすぎない。人はみなモンスターだと思いたがるけれど、ソシオパスでありながら社会と良好な関係を持つこともできる」

 彼女はソシオパスであることを、肯定的に捉えています。
「人はよくいろいろなことで罪の意識を持ってしまう。私はそういうことがない。だからいいなといつも思う」
 罪悪感に苦しむ、ということがない。
 子どものころ、友だちを鉛筆で突き刺したことがある。たぶん罪悪感はなかった。
 いまは、罪悪感は感じなくても、何が罪で何がいけないことかはわかっている。それはおとなになる過程で学んだことだった。ソシオパスは罪悪感や共感力が乏しいといわれるけれど、感情は学んで内面化することができる。
 ガーニュ博士がいいたいのは、たとえばそういうことなのだろうとぼくは彼女のインタビューを読んで理解しました。

ガーニュ医師の近著『Sociopath』

 ソシオパスはよく、無差別大量殺人の犯人などに向けられる概念です。
 誤解です。ソシオパスと無差別大量殺人は関係がない。たまたま無差別大量殺人があると、人は犯人をソシオパスだとかサイコパスだとか呼ぶにすぎない。そもそもソシオパス、サイコパスは俗称で、精神科の診断名ではありません。かりにそういう分野が精神科にあったとしても、医師の診断はまちまちでしょう。ほかの多くの精神疾患とおなじように。ソシオパスもまたスペクトラムにすぎない。人は誰もがソシオパスの一面を、大なり小なり持っています。
 ガーニュ博士の発言をきっかけに、このテーマをもう少し考えてみます。
(2024年2月28日)