ソシオパスの幻影3

 ソシオパスは評判が悪い。
 ネットには、彼らは無責任で他人の気持ちが理解できない、快楽のために犯罪を犯すといった描写があふれています。
 そのすべてがまちがいではないかもしれない。でもそれはソシオパスの一部であり、その人の一面にすぎないというパトリック・ガーニュ博士の指摘は大事です。多くのソシオパスはふつうの社会生活を送っている。また人には誰にでも、程度の差はあれソシオパスの一面がある。そのことをわきまえてソシオパスを見るべきでしょう。

 とはいえ、実際にソシオパスの相手をする人はたいへんです。
 ソシオパスのなかの、かつての呼び方で境界性人格障害といわれた人たちについて、ある精神科医はいっていました。そういう人が来ると逃げる医者が多い。治療がきわめてむずかしいし、ヘタにつきあうとこっちが壊れちゃうから。

 ぼく自身、取材でそういう人の相手をしたことがあります。
 おとなしくふつうに話をしていたのに、突然態度顔つきが変わり、部屋を飛び出してしまう。20階建てビルから飛び降りるというので、最初はあわてました。でもあとで、試されていたんだなと気づきました。飛び降りだけじゃなく、リストカットや大量服薬、食べ吐きそのほかあらゆる手で、彼らはこちらを揺さぶってくる。
 境界性ではなく、反社会性パーソナリティ障害の場合はもっとやっかいかもしれません。

 かつて池田小学校というところで大量殺人事件が起きたとき、ぼくは精神科医への取材をもとに「容疑者は反社会性人格障害だった」と伝えたことがあります。
 わざわざそんなニュースを出したのは、事件発生当時、犯人は統合失調症という報道が一部に流れたためでした。統合失調症の人はそんなことはしない、統合失調症への誤解偏見に対抗するためにもと、反社会性人格障害という病名を伝えたのでした。
 それもまた問題だった。
 後日、精神科医の大学教授にいわれたことがあります。私たちはそういう人たちの治療をしている。彼らはかんたんに治すことはできないけれど、本人たちは治療に通ってきている。そのことを考えてほしいと。
 もっと考えてすべき報道でした。

 その後ぼくは北海道浦河町でたくさんの精神障害者に会っています。
 なかにはたくさんの、パーソナリティ障害らしき人びともいました。何年かたって思うようになったのは、みんなふつうで、だけどときどきユニークな苦労をしているということでした。ぼくは彼らを暮らしのなかで、仲間とともに見ることで、彼らの素の姿をよりよく見ることができたのではないかと思っています。
(2024年3月1日)