リベラリズムの後退

 民主主義は衰退している。世界的に。
 ここ数年、じわじわと感じていることです。でもあらためてキチッと議論されると、若干の緊張をもって考えます。多様性、共感、包摂と唱えるだけではすまない。ぼくらはどう軌道修正すればいいのか(How to beat the backlash that threatens the liberal revolution. By Fareed Zakaria. March 22, 2024. The Washington Post)。

 リベラルは脅かされていると論じるのは、ジャーナリストのファリード・ザカリアさんです。
・・・ベルリンの壁が崩壊し、ソ連が消滅してから30年、自由市場は広がり、政治の民主化、デジタル技術の革命が進んだ。けれど最近10年は、逆の動きが強まっている。
 ロシアのプーチン、中国の習近平、イランのハメネイらは、いずれも西側の自由と民主主義は異質なもので、自分たちの秩序をくつがえす価値観とみている。当の西側の内部にも、ポピュリズムが強まり、開かれた社会やグローバリゼーション、移民や多様性を敵視するようになった・・・

 民主主義社会の内部から、民主主義を否定する動きが出ている。
 グローバリゼーションとデジタル革命は、進歩とともに混乱をもたらした。物質的な生活は向上したが、人びとのあいだの、社会の伝統的なつながりは失われている。暮らしは変わり、寄る辺なさがつのる。
・・・われわれは富み、自由になり、孤立した・・・
 そこに「ロシアを再び偉大な国家に」と訴えるプーチンが、偉大な中国をと唱える習近平が、アメリカを再び偉大な国にしようと叫ぶトランプが現れた。彼らの声が、人びとを引きつける。

 リベラリズムの問題は、それがあまりに成功したことだとザカリアさんはいいます。
 たしかにリベラリズムは王政や神権政治、教会の支配や検閲を倒した。しかし私たちは急激な変化が不安と怖れをもたらすことにも敏感でなければならない、というのが彼の論旨のようです。その論旨にぼくは異論がない。
 では、リベラリズムはどうすればいいか。
 そこで論じられているのは、「啓蒙」(Enlightenment)という、なんとも古くさい概念でした。報道の自由だとか、独立した司法、信教の自由。そういった価値を唱えつづけること。ぼくは路頭に迷います。もっと具体的で力強い、目のさめるような提案はないものか。この崩れゆく世界のなかで。
 でもしかし。
「これだ!」というような単純明快な解決策があったら、それこそプーチン・トランプの世界になってしまう。古くさくても啓蒙のほこりを払いつづけること。路頭に迷いながら、宙吊りに耐えつつ、決して偉大になろうとしないこと。そういうことなんだろうと、ぼくは思い直します。
(2024年3月26日)