きのう、ワシントン・ポストに載った、デビッド・イグネシアスさんの論考を紹介しました。これを読んで多々考えたのですが、そのうちの2点だけをメモします( A ‘good’ war gave the algorithm its opening, but dangers lurk. By David Ignatius. December 20, 2022, The Washington Post)。
ひとつは、ウクライナ戦争を「よい戦争だ」とする見方があることです。イラクやアフガニスタンの戦争をよい戦争だという人はあまりいないけれど、ウクライナはちがう。
だからパランティア社のようなデジタル先進企業が積極的にこの戦争に協力し、ウクライナ軍の力になってきた。
ウクライナ戦争が起きる前は、こうではありませんでした。
デジタル先進企業といえども、戦争への協力には強い反発がありました。実際、パランティア社の開発した“戦争支援ソフトウェア”は、当初は2018年にグーグルが手がけるはずだったのが、社内の激しい反対で実現しなかったとイグネシアスさんは書いています。もし対象が「よい戦争」だったら、グーグルは乗り出していたかもしれない。
ウクライナ戦争は、シリコンバレーの流れを変えました。
これは興味深い論点です。
いい戦争って、あるのか。
日本のリベラルな人たちはほとんどが「戦争はよくない、いい戦争なんてあるわけない」と考えるでしょう。けれどアメリカのリベラルは、いい戦争と明言はしなくても、あのロシアに勝たせてはならないという思いは強い。
そういう強い「親ウクライナ」の風潮、ウクライナを勝たせたいという願望が、アメリカの突出したウクライナ支援を可能にしています。
さて、このような「親ウクライナ」的な感情が、日本に対して抱かれることはあるだろうか。
これが、ぼくの考えた二つ目の点です。
日本がかりに有事になっても、ウクライナのような支援は受けられないのではないか。もしいまぼくがアメリカ人になって見たら、「ウクライナにはできるだけ支援するけれど、日本にはそこまではしない」と思うでしょう。それはアジア人を蔑視するからではなく、ともに民主主義を希求するかどうかの感覚からくるちがいだと思います。
ウクライナは民主主義のために戦っている、だから助けたいとアメリカ人は思う。
台湾は民主主義のために戦っている、だから中国に侵攻されたら助けたいとアメリカ人は思う。
でも日本は? そうは思わないんじゃないかな。いまの日本が「よい戦争」を戦うイメージは誰もあまり持てないような気がするけれど、どうなんでしょうか。
(2022年12月22日)