自然言語を使いこなす人工知能、AIが熱く静かなセンセーションです。
昨年末登場した「チャットGPT」が、AIの新時代を開いたといわれたばかりなのに、今月はもうそのバージョンアップである「GPT4」が登場しました。ほかにもグーグルのバードやマイクロソフトのシドニーなど、これまでにない高度なAIが覇を競っている。
このブームともいえる現象に、言語学の大御所、N・チョムスキーさんが冷水を浴びせました。人工知能? まだ夜明けにもなっていないだろうと(Noam Chomsky: The False Promise of ChatGPT. By Noam Chomsky, et al. March 8, 2023, The New York Times)。
「言語の科学、知識の哲学からみて、AIの思考と言語は人間とはまったく異なっている。こうした差異がこれらAIの欠陥となり、かなりの限界となっている」
では最新のAIにはどういう欠陥や限界があるか、チョムスキーさんは仲間の言語学者や人工知能の専門家とともに議論した結果を述べています。そこでぼくが、これはおもしろいと思ったのは「ビッグ・データ」と「有限な手段」の対比でした。
ビッグ・データは、AIの基礎です。AIは、ネット上の膨大なデータを読み取り、そこで言語がどのように使われているかのパターンを読み取る。パターンにもとづいてどのように単語や文を組み合わせればいいか決定し、ことばとして表出する。
人間はそんなことはしないと、チョムスキーさんはいいます。もっともいい例が赤ん坊でしょう。どんな社会に生まれても、赤ん坊はたちまち周囲の言語を習得する。英語だろうが日本語だろうがバスク語だろうが。人間の言語は「有限な手段」で無限な表現を可能にする。わずか数十の母音と子音を組み合わせて、古今東西の森羅万象を表現します。
AIと人間の言語のちがいはここなのだと、チョムスキーさんはいっている。
いやもちろんほかにもたくさんいろいろなことを指摘しているから、ここだけ取り出すのはバツでしょう。でもぼくはここが肝心カナメだと思いました。膨大なデータを処理して、しゃべっているかのように見せるAI。一方で、わずかな音、文字、アルファベットやあいうえおで、苦もなく何でもしゃべってしまう人間。
たくさんのデータがあるから、人はしゃべれるようになるのではない。そういう脳を持っているから言語が使えるようになるのだ、というのはチョムスキーさんの十八番です。これについては認知科学者から強力な反論もある。それにまた、AIはデータだけじゃなくアルゴリズムってものがあるじゃないかと、まあここからは議論百出でしょう。それは十分承知のうえで、でもぼくはこの一点から目を離すことができない。
膨大なデータではなく、わずかなツール。
それが人間なのだというところに。
(2023年3月24日)