「ああイヤだなあって思うんですよ」
クラウディア・カプランさんは、近ごろのニュースはひどいことばかりで、まるで世界が破滅するようだ、だからだんだん見なくなったといいます。
広告会社に勤めているときは毎日新聞2紙に目を通し、テレビ、ラジオであらゆるニュースを追っていた。それがいまは、もうほとんど興味がない。
「いろんなことを、知らなきゃいけないって思ってた。でも、もうそう感じない」
カプランさんのように、ニュースを見なくなった人が増えているとワシントン・ポストが伝えています(Do you avoid the news? You’re in growing company. August 1, 2023. The Washington Post)。
ロイター・ジャーナリズム研究所によると、アメリカ人の38%がときどき、あるいはしょっちゅう、ニュースを避けるようになりました。ニュースに強い興味を持つ人は、2015年に67%もいたのに、いまは49%にまで減っている。
これはメディアへの批判や無関心とはちょっとちがう。ニュースを「避ける」傾向、ニュース忌避 (News Avoidance)です。そこには、ニュースを見つづけるのは自分に悪い、自分の何かが損なわれるという感覚がある。アメリカ以外の国にもこの傾向は広がっています。
それはそうでしょう。ニュースの多くは凶悪犯罪や戦争、災害、気候危機、抑圧と怒り、敵を攻撃する政治家の醜悪な姿です。しかもそれが過剰に、あふれるようにぼくらに襲いかかる。ネットでもスマホでも、いつでもどこでも。そんなのにさらされていれば自分がダメになってしまう。ニュース忌避は“まっとうな自分”を守る自己防衛反応ではないか。
一般市民だけでなく、専門家にもその傾向は見られます。ノースウェスタン大学でジャーナリズムを研究するP・アバナシー教授はいいます。
「正直にいえば、全国ニュースはしょっちゅう見るのをやめている。代わりに散歩したり小説を読んだり、友だちに会いに行ったりしています」
この感覚はとてもよくわかります。
じつはぼく自身、20年以上前からテレビを見るのをやめました。そしてわかったのは、テレビを見ないとじつに平和だということです。犯罪や災害、不正や混乱を伝える映像にはどうしてもこころをかき乱される。そういう映像を見なくなって、ずいぶんこころ安らかになりました。
テレビはやめたけれど、ネット上のニュースやビデオは見ています。それなりに信頼できるメディアを、購読料を払って見ていれば、そんなにこころ乱されることはないので。だからぼくの場合、テレビは忌避するけれどニュースは忌避しない。
ニュースを投げ出し、散歩に出ることはよくありますが。
(2023年8月4日)