ミャンマーの軍政が揺らいでいる。
ミャンマー軍が反政府勢力の攻撃で後退しはじめたことは、去年このブログに書きました(2023年11月10日)。軍政がただちに崩壊する兆しはないけれど、明らかに情勢は変わっている。ニューヨーク・タイムズのハンナ・ビーチ記者が前線を取材しました(A Ragtag Resistance Sees the Tide Turning in a Forgotten War. By Hannah Beech. April 20, 2024. The New York Times)。
ビーチ記者は、ミャンマーにこれまでにない流動が起きていることを伝えています。
連邦民主主義、という流動です。
英語でいえばフェデラル・デモクラシー(federal democracy)。このことばを、ミャンマー東部カレンニ州の前線で聞いている。政府軍との戦闘に明け暮れる反政府勢力のなかで、リーダーも兵士も頻繁にこのことばを口にする。それもミャンマー語ではなく、英語で。反乱軍部隊は朝礼でも「フェデラル・デモクラシーへの宣誓」を取り入れている。
ここには、これまでにはなかった希望があります。
ミャンマーには、人口の7割を占める最大部族ビルマ族のほかに、カチン、カレンなど、大きく分けて7つの民族があります。それらすべてをビルマ族のもとに統一しようとしたのが過去の軍事政権でした。統一というよりは少数民族の抹殺でしょう。軍は彼らを組織的に迫害し、虐殺をくり返してきた。少数民族は何十年にもわたり、中央政府に武装抵抗してきた歴史があります。
しかも一時期成立した“民主政権”も、これに同調していました(軍と共存するための苦しまぎれの戦略であったとしても)。少数民族から見れば、軍政だろうが民政だろうが、中央政権が自分たちの敵であることに変わりはなかった。
それが変わろうとしている。
ミャンマーの軍事政権に反対し、犠牲となった市民は4700人にのぼるといわれます。また多くの市民が山間部に逃れ、少数民族とともに武器を取って戦うようになった。ビルマ族と少数民族の連携です。当然ながら「ビルマ族による統一」ではなく、多民族による「連邦民主主義」が唱えられるようになった。アメリカやドイツのように、州などの自治体がかなりの主権を行使し、その集合が国家を形成する民主制です。「フェデラル・デモクラシー」が、前線では英語のまま定着しているというところに現場の息吹を感じます。
それは苦しまぎれの選択かもしれません。でも地方に、少数の人びとに、できるだけの自主性を保障するのはむしろ先進の民主主義ではないでしょうか。民主主義というより、人間集団の本来のあり方によりすなおな形です。ミャンマーの反政府勢力は、武力だけでなく政治感覚も鍛えられています。
(2024年5月1日)