あれはよかった。
あとになって、そう思い返す記事があります。ぼくのなかの“もやもや”に、ことばを与えてくれる記事。世界が一瞬、きれいに切り分けられたかのような。
ウクライナの戦争1年目、ニューヨーク・タイムズのキーウ支局長、A・クレイマー記者がまとめた記事もそうでした。
指導者が民を作るのではない。民が指導者を作る。
ウクライナのゼレンスキー大統領のことです。もちろん対極にはロシアのプーチン大統領がいる。
民が作る指導者と、独裁者が作る民。
世界ははっきり、2つに区切られたかに見えました(Tempered in a Crucible of Violence, Zelensky Rises to the Moment. By Andrew E. Kramer. Feb. 25, 2023, The New York Times)。
クレイマー記者は書いています。
「戦争の混乱のさなか、軍事的な明暗と国際外交の困難な領域を通してつねに変わらなかったことがある。スマホで自撮りするゼレンスキー氏がビデオで人びとに呼びかけ、苦闘するウクライナを自らの姿を通して内外にさらしつづけてきたことだ」
喜劇役者だったゼレンスキー氏は、軽量級の政治家と見られていました。大統領に就任した直後はロシアとの和平を求め、東部ドンバス地方を放棄するかの姿勢を見せています。このため国内の抗議デモで軌道修正を迫られました。プーチン大統領との交渉でも成果は得られなかった。また当事のトランプ米大統領からは、軍事援助を凍結するぞと揺さぶりも受けている。けれど、ほんろうされながらも崩れることはなかった。
そして戦争が起きます。
そこで逃げなかった。彼は抵抗の象徴となり、彼を中心にウクライナは結びついた。軽量級だった喜劇役者はいま世界でもっとも重量級の政治指導者のひとりです。
「ウクライナ・ワールド」というネットメディアの編集長、V・エモレンコさんはいいます。
「彼は、私から見ると国の指導者というより国に指導されているように見える。ウクライナには粘り強さとロシアへの怒りがあるが、彼はそれを体現しているのであってその源泉ではない」
ゼレンスキーはたしかにすぐれた指導者だが、はじめからそうだったのではない。ウクライナという国が、そこにいる人びとと文化、社会と歴史が作り出した存在だということでしょう。
ゼレンスキーを作り出した人びとと、プーチンという独裁者によって作られた人びと。そのあいだの殺し合いがいまの戦争です。真に恐ろしいのは、独裁者によって作られた人びとは決してこのような視点を持ちえないことです。
(2023年3月20日)