ハロウィンが終わってすぐにツリー立つ
どこへ行ったか日本の秋 小林智子
1月8日、朝日歌壇の歌です。ふふ、そうだなとうなずく諧謔があります。
この歌が記憶に残ったのは、ぼくにとって秋から年末にかけての時期は「くらがり」のなかにあるからです。夜が長いというより、沈んだというか落ち着いたというか、そういう季節。でも世の中はハロウィンだクリスマスだとやたら輝いている。その違和感を、歌が呼び起こしてくれました。
前後して、「暗さとちょっと恋に落ちる」というマーガレット・レンケルさんのコラムを読みました。冬至という日について、彼女は一年で一番「日が短い日」だけれど、自分は「夜が一番長い」のが好きだといっていました(Falling a Little Bit in Love With the Dark. Dec. 19, 2022. By Margaret Renkl. The New York Times)。
最近の夜は変わりました。
「電気代の安いLEDライトでどの家も照明だらけ、町全体が人工照明であふれかえり、満月ですら見えない。こうまでして暗さを消すのはなぜだろう、まるでこの地上に苦難も悲しみもないかのように」
アメリカでもまた、ハロウィンからクリスマスまで、家も町もずっと照明はつけっぱなしになりました。エコロジストのレンケルさんは、もっと自然を大事にしようという思いがあります。その思いを、見通すことのできない暗がりにも抱いていました。
「私は不確かさのなかでやすらぎ、暗さの秘密を楽しみたい」
暗さは大事です。
ぼくのなかでは、デパートの売り場のように豪華でふんだんな明るさはしばしば虚栄です。暗さは、弱さというよりつつましさに思える。以前、『夜は暗くてはいけないか』(乾正雄、朝日選書)という本で、ヨーロッパの教会は暗く、光としての神が強調されると読んだことがありました。そこまで宗教的な感性はないけれど、光が際立つために影が必要だということはわかります。秋から年末にかけての光の洪水は、できれば避けたいと思うようになりました。
歳かもしれませんが。
テレビ局にいたとき、インタビューは照明をたくさんつければつけるほどいいと思っていたときがあります。でも尊敬するカメラマンにいわれました。理想の照明は1灯。明るさを際立たせる暗さこそが大事なんです。
(2023年1月20日)