戦争はいけないと誰もがいいます。でも世の中には戦わなければならない戦争があるのではないか。たとえば第二次大戦で日本軍と戦った中国の人びとのように。あるいはイスラエルの暴政に立ち向かうパレスチナの人びとのように。ウクライナ戦争を伝える最近の記事を見てふたたびそう思いました(Soaring Death Toll Gives Grim Insight Into Russian Tactics. Feb. 2, 2023. The New York Times)。
そんなことを考えるきっかけになったのは、ロシア軍の死傷者が20万人近くに達したという報道です。
この数字はアメリカと西欧の複数の政府高官から出てきました。去年夏の時点で、米国防総省の推定によればロシア軍死傷者の推定は10万人、それがいまは2倍に増えている。
この記事と、これまでの関連記事をもとにぼくは考えました。
ロシア軍はこの1年、ウクライナ各地で敗走しています。しかし去年9月には新規徴兵で30万人を確保し、刑務所にいる囚人約5万人を動員するなどして兵力を大幅に増強しました。いまその兵力を前線に投入している。そして従来の「戦死者をできるだけ少なくする」戦い方から、どんな犠牲もかえりみない「人海戦術」に転換しています。ことに東部の激戦地、バクムートなどでこの戦術は顕著で、戦死者が急増している。
前線のウクライナ兵はいっています。いくら倒しても敵は後から後からやってくる。ロシア兵はいまや消耗品だ。
この大量“消費”の新戦術は、兵士の訓練不足、武器弾薬の不足や士気の低下を補い、数の効果をあらわしている。人の波による攻撃でロシア軍はウクライナ軍を追い詰め、東部ではここ数週間、いくつかの村落を占拠し攻勢に転じています。
エストニア国防省のK・サルム副大臣はいいます。
「要するにどんなに犠牲が大きくてもロシアにとって問題ではない。兵士の命に価値なんかないから」
プーチン大統領はどれだけ犠牲が出てもこの戦争をやめないと、ロシア政府高官が11月、真顔でアメリカ側に伝えた話を思い出します。
大義の前に、兵士は消耗品。命に価値はない。
そういう国が攻めてきたら、戦争反対なんていっていられない。戦争を回避するために、戦争以前にしなければならないことはたくさんあるけれど、そのうえでなお戦わなければならない戦争がある。人の命をかえりみない“プーチン大統領のロシア”を見て、そう思わないわけにはいきません。
(2023年2月6日)