0.5%の増減

 ニューヨーク・タイムズの情報の流れを見ていて、あれ? と思うことがありました。
 ひとつの記事がふっと現れ、すぐに消えている。どうしたんだろうか。
 それはAI、人工知能がどんどん広がり、電力消費が増えるという記事でした。見出しが刺激的です。「AIはやがてひとつの国全体の電力を消費するだろう」(A.I. Could Soon Need as Much Electricity as an Entire Country. By Delger Erdenesanaa. Oct. 10, 2023. The New York Times)。

 え、AIってそんなに電気、食うの?
 ちょっと驚き、あとで読もうと思った。でも翌日にはネット上から消えている。アーカイブを探したらこんな記事でした。

・・・AIは最先端のチップ、集積回路を大量に必要とする。こうしたチップは電気を食い、サーバーの電力消費も膨大だ。4年後には、AIサーバーが全世界で、年間85から134兆ワット時の電力を消費するだろう。これはオランダやアルゼンチンといった国の年間電力量に相当する・・・

 なるほど。AIにこういう側面があるとは気づかなかった。でも「ひとつの国全体の電力」って、アメリカのことじゃないんだ。オランダくらいだと、まあしかたないという気もする(オランダのみなさん、ごめんなさい)。そう思って読み進んだら、その先にこうありました。
・・・これは全世界の電力消費の0.5%に相当する・・・
 0.5%。これくらいはどうにでもなるんじゃないか。インパクトはだいぶ落ちるということで、タイムズ紙の編集者は短期間でこの記事を消したのでしょう。でも0.5%といっても、いまの地球にはたいへんな負担です。減るならいいけど増えるのはやはり問題ではないのか。

 ぼくには漠然とした不安があります。
 1年くらい前に読んだ別の記事には、LEDの照明が普及し電力消費が減った分、人びとは照明を明るくするようになったとありました。
 省電力が進むのはいい。でも電気代が安くなったら、人はよけい電気を使うようになるんじゃないか。太陽光や風力発電がどんどん進んでいるといっても、その分どんどん使うようになったら暮らしはゆたかになるのか、堕落するのか。そこにはつねに、「もっと電気を使おう」としかける人びとが、社会勢力がいます。

 安くてたくさんあるからどんどん使おう、というのは堕落でしょう。
 問われているのは、電気の量や効率や代替可能性ではない。どんどん使ってしまうという気分であり、そういう気分を生み出す生活様式なのです。
(2023年10月13日)