AIが経済になるまで

 AI、人工知能をめぐる議論に、ノーベル賞学者のポール・クルーグマンさんも参入しました(A.I. May Change Everything, but Probably Not Too Quickly. By Paul Krugman. March 31, 2023. The New York Times)。

ポール・クルーグマンさん

 ニューヨーク・タイムズの名コラムニストは、さてどんなことをいうのでしょうか。
「AIは経済にも相当な衝撃を与え、その影響は年とともに強まるだろう。それが全体として経済に与える効果は、AIの技術的進歩の速さや政府の政策、また労働者がこの技術にどこまで適応できるかといった要素に左右される」
 ふん、なるほど。
 いかにも彼らしい、大局を捉えた論調。
 と、思ったら、これはAIが書いた文章だった。クルーグマンさんがチャットGPTというAIに、「人工知能は経済にどんな影響を与えるか」と質問したところ、返ってきたのがこの答だったそうです。冒頭にそれを引用していたのですね。

 こんな常識的な、毒にも薬にもならないことを名コラムニストが書くはずはない。わかっていればそう思うところを、ついうっかりだまされました。ぼんやり読むと、おお、クルーグマンも年とって丸くなった、言い方がやわらかい、などと思ってしまう。それほどにAIは「自然」です。

 もちろん、その自然さを示すのが彼の目的ではない。
 コラムの本題は、こういう革新的な技術はすぐには経済に反映されないと、専門の立場から論じたものです。20世紀はじめに電気が登場してから電動モーターが生産現場を変えるまでには30年かかった。同様にコンピュータが登場してからも、情報革命が進むまでに30年かかっている。AIも同様とはいわないが、経済に実質的な影響を与えるのはずっと先のことだろう、少なくとも多くの識者がはやし立てているほどの変化は、数年では起きない。
 それはそれで傾聴に値する議論です。

 でもぼくは別のことを考えました。
 今回の彼のコラムに引用された例文のように、AIは気をつけていないとかんたんにだまされてしまう。
 それは逆にいえば、日常の文章の大部分はAIに任せてしまえばいいということです。政治家の演説、役人の答弁、冠婚葬祭のあいさつ。並の論述やありきたりな感動、感謝や追悼のことばはAIがいくらでも書き出すことができる。音声で読み上げることもできます。
 ほんとうに訴えたいことはなんなのか、伝えたいことは何か。そこが問われるようになる。きっとぼくのこういうブログも淘汰されるでしょう。そうならないようにするには、ではどうすればいいか、考えてしまいます。
(2023年4月3日)