環境を守れ、といっても誰も聞こうとはしない。
そんなのは耳タコ。政治はエリを正せ、というのとおなじです。
でも、もし子どもが「ぼくらの未来を奪わないで」と訴えたら、振り向く人はいる。
スウェーデンのグレタ・トゥーンベリさんがそうでした。高校生だったから、温暖化に抗する彼女の声は多くの人に届いた。あなたのではない、「この私」の未来を奪うなという声が。
おなじようなことが、アメリカのモンタナ州で起きています。
5歳から22歳の16人の若者グループが、モンタナ州政府を相手に訴訟を起こしました。やはり自分たちの未来のために(A Landmark Youth Climate Trial Begins in Montana. June 12, 2023. The New York Times)。
彼らがとったのは、違憲訴訟という形でした。
憲法といっても連邦ではなく州の憲法です。そこにはモンタナ州が「現在と将来にわたる世代に清浄で健康な環境を維持し増進させる義務がある」と書いてある、でもそれが守られていないというのです。
自然環境にめぐまれたモンタナ州も、山火事が頻発し、干ばつや洪水、熱波に見舞われるようになった。「清浄で健康な環境」がそこなわれていて、それは地球温暖化のせいだというのに州は何もしてこなかった、憲法違反だというわけです。
もちろん州は反論する。モンタナの炭素排出量なんて微々たるもの、地球温暖化にはほとんど寄与していないと。
論争の背景には、長年の経緯がありました。
絵葉書のように美しいモンタナは、じつは鉱業と石油採掘の地でもある。ここを支配する保守共和党はずっと鉱業利権を守ってきました。石油が温暖化の一因だと認めることもない。一方、そうした流れに抵抗する人びともいました。モンタナ州の憲法ができた1972年、彼らはそのなかにひとつの文言を押し込んでいます。鉱業資本による自然破壊を防ぐため、州は「清浄で健康な環境を維持し増進させる義務」があるという記述。これが、半世紀後の違憲訴訟につながりました。
今回の訴訟は、若者たちが環境運動に踊らされているということだろうか。
そう見ることも可能でしょう。でもぼくはもうちょっと夢のある見方をしたい。
モンタナだけでなく、スウェーデンでも日本でも、若者たちにはこの世界をぼくらとはちがった形で見ている。彼らは彼らの見方で、自分たちの未来を拓こうとしている。そのために環境団体と連携しながら、自分たちの声を上げているのではないか。
モンタナにつづき、アメリカでは各地でおなじような訴訟が準備されています。いつかどこかで、きっと彼らの声は聞かれるでしょう。
(2023年6月15日)