認知症のMAID

 認知症の人にもMAID、医療幇助死を認める法改正がカナダでありました。
 これはMAID(Medical assistance in dying)の重要な展開で、日本もそうなってほしいとせつに願います。ぼくも認知症になる可能性が高いので(Facing Early-Onset Alzheimer’s, She Fought for the Right to Plan Her Death. Feb. 25, 2025. The New York Times)。

 認知症の幇助死って、殺人じゃないかと大部分の人は思うでしょう。
 なにしろ認知症の人は、死を「自分の意思で選ぶ」なんてことはできませんから。カナダの新制度はどういうしくみなのか。
 ケベック州で去年秋に行われた法改正は、もし認知症の末期になったらMAIDで死ぬと、本人が、まだ自分に判断能力があるうちに決めておける制度です。場合によったら何年も前から、あらかじめ自分の死に方を計画できる。

 新制度をもたらしたのは、アルツハイマー病のサンドラ・デュモンティニーさん45歳です。
 39歳のとき、めずらしいタイプの家族性アルツハイマー病と診断されました。まだ記憶力、判断力が残っているいまのうちに自分の死に方を決めたいと、アルツハイマー病協会を足がかりにさまざまな運動を起こしています。
 彼女の訴えで、ケベック州に10年前からあったMAID法に、認知症末期の患者をあらたに対象として含める法改正が実現されました。
 デュモンティニーさんのような患者は、明確で詳細な指示書を書いておけば、最期は認知症でも尊厳ある死を迎えられるとされています。

 彼女がMAIDにこだわったのは、自分の父親を見ていたからでした。
 父親も、自分とおなじ家族性アルツハイマー病だった。40代で発病し、家の壁をなぐり、床をなめるなどの奇行があらわれた。息子に暴力を振るうようにもなり、家族は疲れはてました。自分もまた父親のあとを追うのではないか、そうなりたくはない。
 息子が誰かわからなくなったら、また子どもに暴力を振るうようになったら、医療幇助死で最期を迎えたい。そのための法改正です。

 ぼくも父親が認知症だったので、事情はよくわかります。
 父は怒ったり暴れたりすることはなかったけれど、末期には無言、無感動、無反応でじっとベッドに置かれていました。半強制的に流動食を供給され、ただ死なずにいる、死期をひきのばされるだけの数か月。尊厳といえるようなものは微塵もなかったとしかいいようがありません。
 あのような最期を迎えたくはない。
 ほかの人はともかく、ぼく自身は。
 日本にもMAIDがあればいいのにと、つくづく思います。
(2025年2月28日)