歴史の新世界

 中学生のころ、読書は焚き火だと聞いたことがあります。
 本を読むのは薪を燃やすようなもの、火をつければ、はじめはちょろちょろの炎がやがて大きくなり、あるいは小さくなり、集まったり散らばったり、うまく燃えるときもくすぶって消えることもある。そんな炎にぼくらはとらわれる。
 乾燥したミズナラがみごとに燃えあがり、オーロラグリーンの炎をゆらめかすような読書ができました。

『将軍の都の客人』
(エイミー・スタンリー著、原直史監訳、石垣賀子訳、みすず書房)

『将軍の都の客人』、アメリカの歴史学者、エイミー・スタンリーさんの本です。 越後の寺に生まれた、常野(つねの)というひとりの女性が幕末の江戸に出た波乱の生涯をたどっている。
 きっかけは、常野の書いた一通の手紙をスタンリーさんがネット上で目にしたことでした。越後の林泉寺(りんせんじ)という寺に伝わった膨大な資料の一部です。新潟県立文書館がウェブサイトに公開していました。

 手紙に書かれていたのは、越後の辺鄙な寺に生まれたひとりの女性の日常です。歴史家があえて注目するようなものではなかった。
 けれど、だからこそノースウェスタン大学歴史学部教授のスタンリーさんは目をとめました。
 常野は当時の女性としてはきわめてめずらしく、越後の家を捨てて江戸に出ています。そこで何年も暮らし、無数の手紙を書いた。彼女の心情や日常をたどり、そこから幕末の江戸を描いたのが『将軍の都の客人』です。

エイミー・スタンリーさん
(ノースウェスタン大学教授。同大学サイトから)

 常野の手紙は、こんなふうでした。
「さてわたくし ふといどかんだみな川町へまへり なんぎいたし候」
「いど」は江戸、「かんだ」は神田です。「私は思いがけず江戸の神田皆川町に参りましたが、たいへんな思いをいたしました」の意。毛筆のくずし字、越後なまりを、アメリカ人の著者がどうやって読み解いたか。それだけでも心おどる物語です。
 そのうえで書かれた本書は、読むものを没頭させる力を持っている。

 ぼくにとっていちばんの魅力は、著者スタンリーさんの構想力でした。
「常野が後世に残したもの、それは大都市江戸だ」
 スタンリーさんはこう書いて、常野のような、地方からやってきた女性たちがいなければ江戸の繁栄はなかったといいます。それはまた、地方から都市へ向かう19世紀女性の普遍的な物語の一部でもあった。そういえるのは、スタンリーさんが歴史家であるだけでなく、グローバル・ヒストリーと女性史の専門家でもあるからでしょう。
 ぼくの前に、これまで見たことのない歴史が広がっていました。
(2026年5月15日)