精神科の緩和ケア・4
やわらかな共存。 精神科のひとつの限界、難治性の患者と治療者のあいだには、こんな形があるのではないか。 緩和ケアについての記事を読みながら、ぼくはそんなことを考えました。 やわらかな共存は意訳で、もとのことばは「共感あ […]
やわらかな共存。 精神科のひとつの限界、難治性の患者と治療者のあいだには、こんな形があるのではないか。 緩和ケアについての記事を読みながら、ぼくはそんなことを考えました。 やわらかな共存は意訳で、もとのことばは「共感あ […]
精神科の緩和ケアというテーマの中心にあるのは、医療は何のために行うのか、誰のためのものかという疑問でしょう。 緩和ケアを進める人たちは、精神科の、少なくとも摂食障害、拒食症の患者の多くは、自分の治療にかんして理性的な判
精神科緩和ケアのひとつの例として紹介されていたのは、コロラド州のナオミさんという40代の女性でした。 十代の初期から摂食障害、拒食症がはじまっています。 ニューヨーク・タイムズの取材を最初に受けたときは、コロラド州デン
緩和ケア、という精神科の新しい動きが広がっています。 もしかするとこれは、精神科に起きている歴史的な地殻変動かもしれない。けれど一方ではこれに対し医療の放棄だという強い批判もある。ニューヨーク・タイムズ・マガジンに載っ
きのう、ケンドラ法というニューヨーク州の法律について書きました。 ケンドラ法は精神障害者による犯罪への対策としてできたけれど、期待通りの成果をあげていない。そこで何度か「精神障害者の犯罪」という表現をしました。 でもこ
どんなにいい法律を作っても、社会が受け入れなければ風化してしまう。 ケンドラ法の現状を知って、そんなことを思いました。 ニューヨークの州法であるケンドラ法は、重度の精神疾患があり一定の条件を満たすものに、裁判所の判断で
もう、内輪もめしている場合ではない。 薬物依存についての長文のレポートで、ジェニーン・インターランディ記者が指摘しています。依存症の対策にはいくつもの大きな壁があるけれど、治療法をめぐる対立がそのひとつになっている。こ
ぼくがテレビをまったく見ないのは、テレビより現実の人間社会の方がずっとおもしろいと思うようになったからでした。見なくなって気づいたのは、こころが平和になったことです。事件事故、災害戦争など、悲惨なニュースに接していると
アメリカにも地域精神医療の理念はあった。 精神障害者は病院にいるべきではなく、退院して地域で暮らすべきだという考え方です。そういう理念はあったけれど、過去半世紀、退院した患者はろくな支援を受けられないままほとんどがホー
きのうの自閉症議論の補足です。 ぼくは50年前から自閉症について関心を持ってきました。 この間、自閉症をめぐる概念はずいぶん変わったと思います。自閉症者は長らく、奇妙な行動にこだわり、他人とのコミュニケーションをが取