きれいな町の残酷

 町中の“めいわくな精神障害者”をどうすればいいか。
 ぼくはこの問題をしょっちゅう考えます。精神障害者への差別偏見はなくならないけれど、彼らを“恐れる”人びとの気持ちもわかる。そしてそういう人も、日常的に精神障害者に出会っていれば、だいぶ見方が変わるのではないかとも考えるのです。

 だから北海道の浦河町のように、町中にもっと彼らが出てきてほしい。健常者のふりをするのではなく、精神障害者の生(き)の姿のままで。
 ちょっとくらい汚れていてもいい、臭っていてもいい、身なりが乱れていても、ブツブツしゃべっていても、じっとすわった目つきでもいい。そのままでいい。
 でも大きな声で叫ぶのは、ちょっとまずいときがある。電車のなかで大声で叫んだら、これは誰かがなだめるか、止めるかしなければなりません。

ニューヨークの地下鉄
(Credit: Juliano Borges Mendes, Openverse)

 その止め方で失敗したのが、今月1日に起きた「ニューヨーク地下鉄殺人事件」です。
 ニューヨークの地下鉄車内で、大声をあげていたホームレスの精神障害者が殺されました。30歳の黒人男性でした。殺したのが白人男性だったことから人種差別だとデモも起きています。加害者は無罪放免とこのブログに書きましたが(5月9日)、事件から2週間近くたって第二級故殺罪(日本でいえば業務上過失致死)で起訴されました。この起訴をめぐり、再び論争が燃あがっています(Conservatives hail Daniel Penny as ‘hero’ after killing man on subway. May 13, 2023. The Washington Post)。

 地下鉄で精神障害者が騒ぎ、ほかの乗客に殺されてしまう。
 これだけでもショッキングだけれど、加害者である白人男性、ダニエル・ペリー容疑者を「英雄」とたたえる保守派にも衝撃を受けます。精神障害者は殺されてもしかたがないというのでしょうか。ペリー容疑者には、起訴されてから1日で、ネット上で100万ドル(1億4千万円)もの支援金が集まりました。よくぞやってくれたと。
 ちなみに、アメリカの次期大統領を目ざすフロリダ州のディサンティス知事も、「われわれはダニエル・ペリーのようなサマリタン(善行の人)を支持する」といっています。

 いろいろな見方ができるだろうけれど、そしてちょっと飛躍するけれど、ぼくはこうした「精神障害者排除」の動きが、「きれいな町」を作る動きとぴったり重なっていると感じます。アメリカの保守白人が住む、郊外のきれいな町。青い芝が広がり瀟洒な一軒家が点在するところ。汚れも異物もない空間。そんなところに黒人は住んでほしくない、という心情。それは精神障害者にもいてほしくないという気分とよく似かよっている。
 ぼくの目には、そういうきれいな町が残酷な空間に映ります。
 それを残酷と受けとめるのは、ぼくもまた精神障害者だからかもしれません。
(2023年5月30日)