クラブハウス

 きのう書いたニューヨークの地下鉄殺人事件は、精神障害者が車内で白人の乗客に殺害された事件です。黒人とホームレスと精神障害という、三重のマイノリティへの偏見が色濃く影を落としている。そう思う一方で、これは差別偏見を糾弾しても解決できないとも思います。殺した白人の方は、あれは正当防衛で偏見なんかじゃないと信じているはずだから。
 アメリカ精神医学会の重鎮、トーマス・インセル博士は、もっと引いたところからこの問題を見つめています(America should fund rehab for schizophrenia — not jail and ER. By Thomas Insel, et al. May 23, 2023. The Washington Post)。

トーマス・インセル博士
(Credit: Crossroads Foundation Photos, Openverse)

 精神医学の総本山、NIMH(国立精神衛生研究所)の所長だったインセル博士は、ホームレスの4人にひとりは治療を受けていない精神障害者だといいます。
「統合失調症や双極性障害の患者の多くは、簡易ホテルや宿泊施設などで暮らしている。さまざまな対策が取られても事態は悪化するばかりだ。なぜか。それは社会が失敗したからだ」
 失敗とは、応急の治療はしてもその後を見ようとしないしくみです。
「重い精神疾患を持つ1400万人のアメリカ人のうち、回復のために必要なサービスを受けている人は5%以下だ。こうしたサービスにはピアサポートや家族教育、住宅の支援が含まれる。それは腎臓病の人が透析を受けるようなものだ」

 それがなければ生きていけない必須の措置。それが精神科の回復のためのサービスです。
 幻覚や妄想、興奮状態が治まればそれでいいのではない。そこからどう社会に出て、自分なりの暮らしを作るか。そこを支えようとしないから失敗したのだと、インセル博士はいっている。
 それだけなら、わかりきった話かもしれない。
 でも博士は提案しています。自分はNIMHを退職後、「クラブハウス」という社会運動にかかわっている。これは精神障害者がスタッフとともに作るコミュニティだが、コミュニティを作ること自体が治療的介入になっている。
「クラブハウスは病気や貧困、住宅の欠乏や孤立といった問題への対策になりうる。このような形で保護されることにより、長期的な回復と生存が可能になる」

ニューヨークのクラブハウス
(Fountain House. Credit: Hobo Matt, Openverse)

 ぼくもはじめて知りましたが、アメリカには各地にこういうクラブハウスがあるようです。数十人から百人規模の、当事者とスタッフが入りまじって暮らす、グループホームよりずっと大きな施設。それ自体がひとつのコミュニティで、そこで治療するより暮らしを作っている。見方を変えれば、精神科病院を地域に開かれたコミュニティにしたようなものでしょうか。
 まっとうなしくみだけれど、民間の寄付に頼っているから限界がある。それを公的な支援で充実させれば、アメリカは病院や刑務所に頼るよりはるかに安い費用で、精神障害をめぐる状況を劇的に改善させることができる。
 地下鉄殺人事件は、こういうしくみが広がっていれば避けられたのではないかとインセル博士はいっています。
(2023年5月31日)