若者の自殺が増えている。
目新しい事態ではありません。日本でもアメリカでも自殺は若い世代で死因の上位を占めています。コロナの影響や戦乱、政治的対立の激化などが背景にあるかもしれない。でも一般的な傾向として、自殺は若者世代で目につきます。
そこには、もっと大きな時代背景としての「不安」があるのではないか。BBCのニュースを見ながらそんなことを考えました(Suicide is on the rise for young Americans, with no clear answers. April 12, 2024. BBC)。
ぼくがいう不安は、経済的な不安や政治的な不安というような、はっきりを記述できるものではない。名指しがたい、漠然とした時代の空気。いま地球文明的な規模で起きていると感じられる現象です。
たとえばそれは、SNSによってもたらされる。ラインやインスタグラム、ティクトクなどのSNS、ソーシャルメディアはさらに発達し、さらに便利になり、空気のように日常に入りこんでいる。ぼくらは夜も昼も、地球のどこにいても瞬時につながる。この豊穣、この濃密。だのになぜ、ぼくらは孤独なのだろう。
何かが足りない、何かを逃している。そんな気分の不安。あるいは不安をかきたてるもの。
SNSは不安を作り出しているのではなく、不安を増幅している。
そのもとにある不安って、いったいなんだろうか。
若者の自殺は、不安が若者を追いつめたからではなく、不安を敏感に感じ取り増幅してしまう若者がいるということだったのではないか。とするなら、そこにある不安ってなんだろう。
SNSと自殺について、日米にはかなりの落差があります。
アメリカでは政府の医務総監という、保健衛生のトップが警告を発している。
「SNSは子どもたちにとって安全ではない。思春期の若者たちが脳が発達する重要な時期にSNSを使い、精神と健康を損なっている」(2023年5月23日)
一方日本では、厚労省のサイトが自殺防止対策として「SNS相談等を行っている団体一覧」を掲載している。SNSは自殺対策のツールです。
SNSを文明史的な観点から抑止しようとするアメリカ。
役に立つなら使えばいいという日本。
どちらのスタンスがいいかか、かんたんには議論できません。でも社会的な議論の深さがちがうのではないか。
話がそれました。ほんとのテーマは不安です。これは精神科とも深く関連するので、折をみてさらに考えます。
(2024年4月18日)