70年変わらない現実

 マーチン・ルーサー・キング牧師は、精神障害についても並外れた理解があったと知り驚きました。
 ノーベル平和賞も受賞したキング師は黒人解放運動の中心であり、社会運動家のイメージが強いけれど、精神障害を理解していたということは人間に対する深い洞察があったのでしょう。あらためて人物の大きさを見直しました(What Martin Luther King Jr. Knew About Crime and Mental Illness. By Alvin L. Bragg Jr. April 13, 2024. The New York Times)。

ワシントンで演説するキング師(1963年)
(Credit: National Park Service, Openverse)

 キング師と精神障害のかかわりは、ニューヨーク市検察局のアルヴィン・ブラッグ検察官が指摘しています。検察官によればキング師は1958年9月、ニューヨークのデパートでイゾラ・カレーという女性に鉄のペーパーナイフで刺さる災難にあっています。しかし彼女が統合失調症であるとわかり、キング師は彼女を非難することなくこういったそうです。
「混乱した状態の人も、この社会で誰にも迷惑をかけない建設的な市民になれるよう、必要な治療を受けられることを願っている」
 精神障害者に必要なのは排除や隔離ではなく、治療だといっている。それを1950年代にいっていることに驚きます。

 とはいえ、ブラッグ検察官の論旨はキング師称賛ではありませんでした。
 キング師の訴えにもかかわらず、アメリカ社会は精神障害者の治療を進めなかったという指摘です。精神障害者の多くはホームレスになるか、さもなければ刑務所に入っている。彼らに対する治療と支援を進めなければならない。それが、精神障害者が地下鉄のホームから乗客を突き落とすような事件を減らし、ニューヨーク市民の不安に対処するためのもっとも確実な方法だと訴えている。

 70年前にキング師の示した筋道はいまもそのまま有効です。
 しかし70年たっても、社会はキング師の示した筋道をたどれていない。それは政治が精神障害を放置しているからであり、社会の無関心と無理解があるからです。アメリカも日本もそこはおなじで、ちがいはアメリカでは精神障害者のほとんどが刑務所にいるかホームレスなのに対し、日本の場合は精神科病院に“収容”されていることでしょう。

 でも、もっと別なちがいがあるのではないか。
 精神障害とともに生きる社会と、そうではない社会。一方には、精神障害者が町にいてさまざまな問題を引き起こすけれど、それを人間社会の現実として引き受けようとし、議論する社会がある。それに対し、そういう問題が出てこないよう、精神障害者をできるだけ隔離収容して見えなくしてしまう社会。そういうちがいがあるのではないか。
 問題は、なくすのではなく大事にしなければならないものだとぼくは思うのですが。
(2024年4月17日)