アメリカがウクライナの大胆な反攻を支援する構えだと、先週書きました。
一方で、欧米の支援には深刻なヒビが入っています。この足並みの乱れにプーチン大統領はきっとほくそ笑んでいることでしょう。
表面的に見れば、亀裂はウクライナに強力な兵器を渡すかどうかの対立です。焦点となっているのはドイツの主力戦車「レオパルト2」、この重戦車がないとウクライナはロシアの防衛戦を突破できない。
ゼレンスキー大統領はいいました。
「数百のサンクス(感謝)より数百のタンクス(戦車)」
ウクライナはすでに多くの戦死者を出している、強力な戦車なしでの戦いで、さらに多くのウクライナ兵に死ねというのか、どうかレオパルトを供給してほしいといっている。
その要請をはねつけているのがドイツです。
ドイツはウクライナに重戦車を供給する「最初の国」にはならない。アメリカが自軍の戦車「エイブラムス」をウクライナに送るなら、ドイツもそれにつづくだろう、しかしドイツは先頭に立たない。こういってレオパルトの供給を拒否し、NATO各国が持っているレオパルトのウクライナへの「再輸出」も認めていません。
おりしもスイスのダボスで開かれている世界経済フォーラムでは、自由世界の指導者たちから「レオパルトを送れ」の大合唱が起きている。でもドイツは折れない。
表面の対立の下に、また別な風景が見えることをニューヨーク・タイムズが伝えています(The NATO Alliance Is Holding Strong on Ukraine. But Fractures Are Emerging. Jan. 20, 2023, The New York Times)。
ドイツにはドイツの、「平和国家」として歩んできた歴史がある。その歴史をかんたんにくつがえすことはできない。
アメリカにもアメリカの国益がある。アメリカが自軍の戦車エイブラムスを送らないのは、前のめりの政治家に対して、それをいさめる米軍トップが戦争のプロとしての判断から長期戦を視野に入れているためだ。具体的にそう書いてあるわけではないけれど、そんなことを思わせる記事でした。
それを読みながら、さらに思ったものです。
ドイツはこのようにして国としての自分のあり方を主張している。それに対し、さて日本はこんなことができるだろうか。たとえば台湾有事の際に自衛隊の輸送艦や護衛艦を出せという「大合唱」が起きたとき、「平和国家」を主張しつづけることができるだろうか。
ドイツと日本の、戦後の長い歩みの落差を思います。
(2023年1月23日)