手のひらの哲学

 もう一冊、最近気に入った本を紹介します。
 永井玲衣さんの『水中の哲学者たち』(晶文社)。永井さんは若い世代の哲学者で、町に出て企業に行ったり学校に行ったりお寺に行ったりしながら、哲学対話をいろいろな形でくり広げている。臨床哲学とでもいう分野でしょうか。
 内容というより、まず彼女の文体に引かれました。というか、彼女の頭のなかの世界に引き込まれたのでしょう。読んで内容を理解するっていうよりむしろ、読むことそのものが楽しいという思いが残っています。こういう本にはなかなか出会えない。

『水中の哲学者たち』(永井玲衣、晶文社)

 冒頭からことばが自然に入ってきました。
・・・哲学をすることは、世界をよく見ることだ。くっきりしたり、ぼやけたり、かたちを変えたりして、少しずつ世界と関係を深めていく。揺さぶられ、混乱し、思考がもつれて、あっちへこっちへ行き来する。これは、朝に目を覚ましたときの感覚に少しだけ似ている・・・

 ていねいな語り口は、むずかしいことをやさしくいおうとしているからではない。やさしいことのなかに、ほんとのむずかしさがあるという主張です。哲学をすることは、世界を見ることであり、世界に問うことである。問いは偉大である、ともいいます。
・・・人々と問いに取り組み、考える。哲学はこうやって、わたしたちの生と共にありつづけてきた。借り物の問いではない、わたしの問い。ささやかで、切実な呼びかけ・・・

 永井さんは、自分が試みているのは「手のひらサイズの哲学」だといいます。日常の問いを「わたしの問い」として問う。そのくり返しのなかに現れるもの。
 ある高校の哲学対話では、こんな場面もありました。
・・・「約束は守らなければならないのか」というテーマで話したいつかの高校生は、長い時間をかけて、水中でもがくように言葉を絞り出していた。えっと、他者というのは、そのひとがすごく……いや……他者は、他者は、他者だから、尊重しなければならないっていうか・・・

 もたもたとことばを重ねる。いいたいことがいえず、みんなに「え? どういう意味? もっかい言って、どういうこと」と問われながら、もがいている。そういうもたつきに、永井さんはつきることのない可能性を見出します。
 明快な答え、論理、主張ではないもの。わかりそうでいて、わからないもの。「もうちょっとでわかりそうなのに」という思いを引きおこすもの。

 哲学の理論をほとんど何も書いていないのに、たしかにここには哲学がある。そう思わせてくれる本でした。彼女が次に出す本も、また読みたいとぼくは思っています。
(2022年10月25日)