机の上に置いておける刃物。
その実物を見ることができました。神戸市の竹中大工道具館にある、千代鶴是秀の切出小刀です。「矢笛」と銘がありました。明治から昭和にかけ、鑿(のみ)や鉋(かんな)などの大工道具を作っていた鍛冶職人の逸品です。
見る人が見れば、鋼の肌のキメや鍛え方、刃の出し方や地紋から、不世出の職人の技と思いを読み取るでしょう。そこまでの目がないぼくは、ただ怜悧な鋼の光沢に見入るだけです。でも伝説を聞きかじっているから、この光沢にはやわらかさがあるのではないか、道具というよりは作品だろう、などと思いをめぐらせてみる。
大工道具鍛冶である千代鶴是秀がなぜ、大工道具としては脇役の切出小刀を200本あまりも作ったのか。またそれが特別に展示されるのか。いきさつは是秀の研究家である土田昇さんの著書『職人の近代 道具鍛冶千代鶴是秀の変容』(みすず書房)に詳しい。同書によれば、ひとつのきっかけはアイヌ文化でした。
是秀はあるとき、上野の博物館でアイヌのペーパーナイフのようなものを目にする。それは素朴で、「まったく刃物としての鋭さ、危なさを感じさせない」ものだった。
鉄であんなものができたら。
「机の上に置いておいても刃物としての危なさを感じさせず、おかしくない切出を目指してみればどうか」
そこから切出小刀を作るようになったと、のちに知人に語っています。
刃物としての危なさを感じさせない刃物。
そこには、消えてゆく道具と、残ってゆく作品のちがいが重なります。
鍛冶職人が大工のために作る鑿や鉋は、どんな名品もしょせんは道具、日々使われて消耗します。役割を終えれば消えてゆく。
消えることのない、ただの道具以上の何かを、“本業”である鑿や鉋のあいまに是秀は作りたかったのではないか。手にした人が、使うよりは机の上に置いておきたいと思うようなもの。「驚くべき完成度」で、「是秀以前の刀鍛冶、道具鍛冶が踏み込みえなかった域」(土田昇)に達している作品。そういうものを、是秀はつくりつづけました。
竹中大工道具館には、是秀だけでなく多くの鍛冶職人の大工道具や、唐招提寺の修復工事の模型などが並んでいます。新幹線の新神戸から歩いて5分もかからないところに、こんな別世界があるとは知りませんでした。
鍛冶や棟梁たちの博物館。
頂点をきわめた職人たちの生き方が残されています。
(2024年4月16日)