全世界の気温が、観測史上はじめて2度以上の上昇を記録しました。
地球の温暖化は確実に進んでいる。国連は平均気温を1.5度の上昇にとどめようと呼びかけているけれど、目標が達成できるかどうかはわからない。平均2度の上昇で、地球は温暖化というよりは気候危機に陥り、炎暑や干ばつ、豪雨はさらに凶暴になります。未踏の領域にぼくらは踏みこんだようです(Earth passed a feared global warming milestone Friday, at least briefly. November 19, 2023. The Washington Post)。
この数値を発表したのは、EUのコペルニクス気候変動研究所(Copernicus Climate Change Service)でした。サマンサ・バージェス副所長によれば、11月17日、地球全体の平均気温は産業革命以前とくらべて2.06度上昇したということです。
産業革命以前というのは、1850年から1900年にかけてのころで、このころより2度以上の上昇ということです。約30年前の1991年以降とくらべても、地球の気温は1.17度上昇している。地球科学者は、これは12万5千年ぶりの暑さだといいます。
平均気温2度の上昇は、今回は1日かぎりの現象でした。しかしそれが1か月、1シーズンとつづくようになれば、社会経済は壊滅的な被害をこうむるでしょう。
温暖化は、あきらかにぼくらの暮らしにも入りこんでいる。日本の暑さもこの夏は観測史上最高でした。天然のサケが取れなくなったとか、トマトが育たないとか、北海道でブリが豊漁だとか、自然界で無数の変異が起きている。それも気になるけれど、ぼくが実感として思うのは、この世界がかつてなく「荒れてきた」ということです。五月雨が豪雨になる。水害が激しくなり、干ばつがつづく。気候がこれまでの限度を超えて荒れすさみ、かつての四季のおだやかなうつろいが失われている。
荒れた世界のなかで、ぼくらのこころの原風景が消えてゆくのではないか。
・・・春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる・・・(清少納言『枕草子』)
清少納言のこころもようは、日本の四季あってのもの。
けれど四季そのものが変われば、そこに人間のあわれやこころのひだを織りこんだ枕草子の世界をぼくらは感覚的に納得できなくなる。社会経済がどれほど変わろうと、それは世の常です。けれど自然が10万年来の姿を変えるということは、変えるというより壊れてゆくことは、未来の世代とのあいだでぼくらが語るべきことばを失うということでもある。しかもこの荒れようは、人のあり方そのものも荒れてゆくということにならないだろうか。
洪水や干ばつとは別種の“そら恐ろしさ”を覚えます。
(2023年11月22日)