MAIDの使い方

 医療幇助(ほうじょ)死をめぐって、きわめてむずかしい議論が起きています。
 医療幇助死の対象に、精神障害者を含めるべきかどうかです。
 医療幇助死、MAID(Medical Assistance in Dying)は、終末期で治る見込みのない病気の患者が自らの意志で死を選び、医師の助けと薬物で最期を迎える方法です。欧米の各地で合法化されていますが、対象となるのはがんや重い遺伝性疾患などでした。

 ところがいまカナダでは、MAIDの対象に精神障害も含める動きが起きています。そのために法律も改正されたけれど、実施が延期されているとこのブログでも伝えました(2023年1月17日)。ぼく自身、「精神障害者まで対象にすることには疑問」と述べています。でも、そうでもないと思わせる議論が出てきました(Medical Assistance in Dying Should Not Exclude Mental Illness. By Clancy Martin. April 21, 2023. The New York Times)。

 MAIDの対象に精神障害者も含めるべきだと主張しているのは、ミズーリ大学の哲学者、クランシー・マーチン教授です。
 教授は子どものときから自殺未遂をくり返しました。思春期、成人になってからも、何度もさまざまな方法で自殺を試みています。その後はすぐれた支援組織に出会って救われ、結婚して子どももいる平和な人生になりました。でも人はなぜ自殺したいと思うのか、どのように追いつめられ、どうすれば破滅に至るか、身をもって知っています。

 自殺願望は、人を消耗させる。
 重い精神疾患のもとにある人は、底知れない闇のなかに落ち込む日々を自分ひとりで引き受けなければならない。その混乱と苦難、辛苦を知るマーチン教授は、自殺念慮にかられるものの誰もが「あの恐ろしい閉所恐怖症」に囚われるといいます。そのようなときに、MAIDはむしろ救いになるのではないか。死ぬことで救われるという意味ではなく、一時的にせよ、底なしの闇から逃れるという意味で。
「自殺願望のある人はMAIDの手続きのなかに入ることで、ときに自殺について考え直すことがあるかもしれない。MAIDの手続きは、逆説的ではあるけれど自殺願望をやわらげることになるのである」

 MAID、死を真剣に考えることで、死から遠ざかる。
 これは当事者でなければ思い描くことのできない構図でしょう。どんな薬でも、どんな治療法でも自殺願望のある人を救うことができないとき、「MAIDの手続き」に頼ってみるという発想。
 ぼくは多くの当事者の顔を思い浮かべながら、これって、多分「あり」だな思いました。
(2023年4月28日)