断ドパミン

 依存症を、脳から見るな!
 依存症の回復者が、脳中心主義を批判しています。
 議論しているのは、このブログでもたびたび紹介している“依存症ジャーナリスト”、マイア・サラヴィッツさん。彼女は、依存を脳内の神経伝達物質「ドパミン」で論じる風潮があるけれど、短絡的だと批判する。当事者の切実な視点です(A ‘Dopamine Fast’ Will Not Save You From Addiction. By  Maia Szalavitz. Sept. 13, 2024. The New York Times)。

 議論の発端となっているのは、ドパミン・ファスト(Dopamine Fast)という依存症への対処法です。直訳すればドパミン断食。
 もともとは、スマホを見つづけてしまうとか、ゲームがやめられないといったことへの対処法だったようです。やめられない刺激で脳はドパミンを放出する、刺激がくり返されるとドパミンが増え依存症になる。そうならないよう、「断ドパミン」を一部の精神医学者らが唱えるようになった。
 けれど脳内の快楽と依存には、信じられないほどに複雑なメカニズムがあり、ドパミンだけ見ていても問題は解決できないとサラヴィッツさんは反論します。

 ぼくは、過去のドパミン論争を思い出しました。
 ドパミン(旧ドーパミン)は統合失調症の患者で増えることがわかり、ドパミンを抑えれば精神疾患は治せると、かつて一部の学者が考えた時期がありました。けれど精神病はそんなかんたんなものではない。ドパミンを調整する薬は出回ったけれど、それで統合失調症を「治す」ことはできなかった。
 おなじような事態が、依存症にも起きているのだろうか。

 かつてコカイン依存症だったサラヴィッツさんはいいます。
「ドパミンは依存に重要な役割を果たすが、人はそれで自己破壊の罠にはまるわけではない・・・私たちの問題は、つながりとコミュニティ、そして目標の欠如なのだ」
 ドパミンという物質からは、あるいは神経細胞や脳の機能からは依存は見えてこない。依存は「意識できない衝動であり、快楽の追求ではない」ともいっている。

 古くて新しい、脳中心主義と実存主義のすれちがいでしょう。
 脳を理解すれば人間のすることは理解できるという脳中心主義に対して、人間を脳の外側とのかかわりで捉えるべきだという人びとがいる。サラヴィッツさんだけでなく、「「私」は脳ではない!」と主張するマルクス・ガブリエルさんのような哲学者もいます。
 それは人間は予測できると考える人びとと、予測できないからこそ人間なのだと考える人びととのすれちがいでもあるのでしょう。
(2024年9月19日)