ぼくらは誰もがみな「わからなさ」を抱えている。
そんなの、当たり前でしょといわれるかもしれません。でもぼくがそれをくどくいうのは、「わかる」より「わからなさ」の方が大事だと思うからです。
わからなさに面したところで、宙ぶらりんになる。それが大事なのではないか。
そんな気持ちでいるときに出会ったのが、千葉雅也さんの『現代思想入門』(講談社現代新書)でした。現代思想、すなわち20世紀フランス哲学の「入門書を読むための入門書」、まったくの初心者向けに、難解な哲学をたくみに噛みくだいた稀有な本です。
依存症の迷路を考えるシリーズは、この本に触発されています。
千葉さんは冒頭で、なぜ現代思想を学ぶかについて、「複雑なことを単純化しないで考えられる」ようになるからといっています。また「複雑なことを単純化できるのが知性なんじゃないの?」というよくある批判に対して、いかにも知性の人らしく、「世の中には、単純化したら台無しになってしまうリアリティがあり、それを尊重する必要がある」と返しています。
まさにそのとおり。この一節だけで「いいぞ、この本!」と、ぼくは一気に入りこんだのでした。
めずらしく集中した読書です。
ページをめくるたびに、ああ、そういうことだったのか、へえー、こう見るのかなどさまざまな触発がありましたが、その間ずっと、影のように「浦河」がつきまとっていた気がします。あちこちで、「これって、じつに浦河的だよな」とか、「彼らの生き方そのもの」「まさに浦河で、みんながやってきたことだよね」などの思いが、とつおいつ浮かんだのでした。
いやそれ、ちょっと話が散らかりすぎでしょ、といわれてしまう。
ジャック・デリダやミシェル・フーコーが、なんでまた浦河とつながるの。牽強付会、ただの幻聴といわれてもしかたがない。それは十分承知してます。でも思うのです、ぼくは本を読みながらそう感じていた、そこには何かあると。少なくともぼくには無視できない何かが。
それをつらつら書きます。相当発達障害的な世界になるから、常識ある方は追わないほうがいいでしょう。
まずひとつだけいっておきたいのは、浦河の精神科がしてきたことは既存の精神医学、少なくともその主流、マジョリティからはまぎれもなく逸脱していたということです。
この、「秩序からの逸脱」こそが、『現代思想入門』で千葉雅也さんが強い関心を寄せていたテーマでした。つまり本の全体が、浦河の精神科の全体とやんわり重なっているんですね。次回から、やんわりの向こうの、もうちょっと具体的なところをつついてみます。
(2022年7月14日)