銃社会と精神障害

 銃社会アメリカでことし5月、テキサス州の小学校に押し入った男が子ども19人を射殺し、自分も警察に射たれて死亡する事件がありました。大量射殺事件に慣れっこになっているアメリカも、さすがになんとかしなければと機運が盛り上がり、銃規制の新法ができました。
 これ、じつは奇妙な法律です。
 銃の購入、所持を規制するはずの法律だのに、精神保健の充実をうたっている。
 なんだかずれてますよねという報道がありました(What Are the Real Warning Signs of a Mass Shooting? Aug. 22, 2022, The New York Times)。

 新法の背景には、銃乱射事件のような犯罪を起こすのは異常な人だという思いこみがあります。
 2019年に大量射殺事件がつづいたとき、当時のトランプ大統領はいいました。
「精神病と憎悪が引き金を引かせる。銃は悪くない」
 悪いのは人間であり、銃ではないという、”銃擁護派”の主張のもじりです。
 テキサス州のアボット知事もいっています。
「人を射つようなやつは、精神保健に問題を抱えてる」
 おかしな事件はおかしなやつが起こす。おかしなやつイコール精神障害者、でしょうか。そういうふうに短絡する方がおかしいんじゃないかと、ぼくは思います。

 1966年以降の銃乱射による大量殺人事件を調べている、ジリアン・ピーターソン博士はいいます。
「精神科の診断があるかどうかは、多くの場合大した問題ではない。それだけで事件が起きるわけではないから」

ジリアン・ピーターソン博士
(本人の Twitter から)

 専門家は、精神疾患があるかどうかにかかわりなく、注意すべきは犯行前に特定の兆候が現れるかどうかだといいます。明らかな行動の変化、逸脱、ふだんとはちがうケンカ、口論、また暴力的な行動を誰かに予告すること、など。そのサインを捉えることができるかどうかが、ひいては大量射殺事件を防げるかどうかの分かれ道になるといいます。
 ピーターソン博士は、こうした犯罪者を外部から来たモンスターではなく、助けを必要としているコミュニティの仲間とみなします。だから敬意と尊厳、包摂をもって臨むべきで、処罰的、排除的な対応は暴力の危険を増すだけだといいます。
 犯人のひとりがいったそうです。
「誰かが自分を止められたはずだ。でも誰も止めなかった」

 新法については、精神障害への偏見を助長すると批判があるかと思ったら、そうでもない。意外でした。でもこの新法、精神保健の充実に85億ドルもの巨額な予算をつけたそうです。ま、それならそれでいいかと、多くの当事者、精神科医は思っているのかもしれません。
(2022年8月24日)