AIは教祖になれない

 最先端のAI、クロード・ミュトスを開発したアンソロピック社は、ミュトスを「真に善良で賢く、徳のある存在」にしたいと考えた。
 そこで開発にあたり、キリスト教の聖職者何人もに助言を求めたそうです。でもうまくいかなかった。AIは宗教を熟知することはできても、宗教者になることはできないからです(Anthropic Wants Claude to Be Moral. Is Religion Really the Answer? By David DeSteno. April 20, 2026. The New York Times)。

 宗教心理学者のデビッド・デステノ博士は、アンソロピックが聖職者に頼ろうとした努力は評価する。けれどAIは宗教にはなれないといいます。
 なぜならAIには「身体」がないから。
 キリスト教であろうがほかのどんな宗教であろうが、身体がなければ宗教は実践できない。実践のない宗教は空理空論に終わる。どういうことか。

 ぼくらはふつう、宗教は心の問題だと思いがちです。でもデステノ博士はそうではない。信仰は実践だといいます。
 瞑想し、断食し、祈り、平伏し、ともに歌い、儀式を行う。そうした所作を教会で、礼拝所で、家で、くり返す。すべては身体を使って行われる。俗な言葉でいえば教義を血肉化することでしょうか。宗教は「思う」ことと同様、「する」ことでもあると博士はいいます。
 AIは、そんなことはできない。

 アンソロピック社が最新のAI作成にあたって、聖職者にまで接触したのは驚きでした。そうすることでほんとに「徳」のあるAIを作りたかったのかもしれない。
 デステノ博士は、AIは徳を体得できないという。宗教とおなじく、AIは徳についてもまた、解説はできるけれどAI自体が徳のある存在になるわけではない。わたしはどう生きればいいかと尋ねても、答は確率論であり、徳が示されることはない。

 じゃあまあ、その程度の存在なんだねAIは、一安心。
 と軽く見てはいけない。博士のAIと宗教をめぐる議論は、あくまでまっとうな宗教のことであり、まっとうでない宗教にはあてはまらない。カルトやテロリスト、詐欺集団がAIを悪用すればひじょうに危険です。
 イギリスのAISI(AI安全保障研究所)は、AIには「人間の行動を操作する」力もあるという。市民の意見を賛成から反対に変えることもできる。生物化学兵器が作れるのと同様、安全保障への脅威になる力だと指摘します。
 AIは、聖職者として民を導くことはできない。けれど人間を操作することはできる。
 やはり、野放しにしておいてはいけないということです。
(2026年6月1日)