陰謀論と妄想

 陰謀論と妄想はどこがちがうのか。
 先日、ある会合でこんなことが話題になりました。
 世の中には、ありえないことを固く信じている人びとがいる。それは統合失調症に多い妄想とどうちがうのか。

 陰謀論で一番信者が多いのは、選挙はインチキだったという信念でしょう。2020年のアメリカ大統領選挙で当選したのはバイデンじゃなくトランプだったというのです。アメリカ国民の数百万人、いやひょっとすると数千万人があの選挙は陰謀だったと信じている。
 元大統領候補のヒラリー・クリントンは幼児売買の首謀者だったとか、コロナ・ワクチンは国民を洗脳する遺伝子を注射するためだとか、そういう“とんでも説”は枚挙にいとまがない。
 陰謀論は、どんなに反論してもくつがえることはありません。
 説得すればするほど、「陰謀だ」という信念は強くなる。この構造は一見、統合失調症の妄想と酷似しています。

 ぼくの知る精神病患者のなかには、自分は全世界を支配する悪魔と戦っているとか、誰かが電波で自分をあやつっているとか、さまざまな妄想を持つ人がいます。それを説得で変えることはできません。

 陰謀論と妄想。とんでもないことを固く信じている点では共通している。
 でも先日の会合には精神科に詳しい人もいて、似てるけどちがうよねという話になりました。
 その後もこの問題を考えるなかでオックスフォード大学のジェイムズ・ティリー教授の論が目に止まりました。なぜ陰謀論がはびこるか、教授はこういっています(2019年2月18日、BBC News Japan)。

・・・結局のところ、私たちは事実に照らして正確でいたいのではなく、私たちは楽になりたい、安心したいのだ・・・

 世の中に起きているいろいろなことについて、ぼくらは事実ではなく自分が受け入れやすい説明、好みの物語を受け入れる。そして安心しようとする。これは人間の本性のようなものだから、陰謀論はなくならないというのです。

 でも妄想はそうではない。少なくとも表面上、妄想は本人が安心するために選びとった説明や物語ではない。むしろ説明できない不安であり、陰謀論よりはるかに多くの困難をもたらす心的現象です。説明できない、あるいは安易な説明に流れないというのは精神科の妄想のすごいところではないか。それにくらべて、世の陰謀論はなんと平板で退屈なことだろう。安心をめざすか、それとも不安に耐えるか、ここが陰謀論と妄想の分かれ目かもしれない。そんなふうに、妄想についてのぼくの思考は妄想のように広がるのでした。
(2023年1月30日)