遠ざかる中国

 三体のトラブルが起きているらしい。
 中国の作家、劉慈欣さんのSF小説『三体』をめぐる騒動です。SFファンが稀代の傑作という『三体』は、世界的なベストセラーになり映画化もされました。その映画に中国の民衆が怒っている。悪意に満ちた西側の歪曲、中国をおとしめるものだと。
 それ自体は別段驚くことではない。ぼくがうなったのは、中国がここまで変貌している、いまの中国はもうかつての中国ではないということでした(What Chinese Outrage Over ‘3 Body Problem’ Says About China. April 8, 2024. The New York Times)。

 アマゾンが「現代中国最大のヒット作」といい、2千万部が売れた『三体』は、地球外の知的存在の攻撃で人類が危機を迎えるというSFの定番です。基軸となる論理や構成、ストーリーが巧みで大ベストセラーになりました。

『三体』劉慈欣・著(早川書房)

 物語の核となるのはひとりの「裏切り者」の女性科学者です。彼女は中国の文化大革命で父親が残酷極まる形で処刑されるのを目撃する。人間性のすべてを否定される経験が、彼女をして人類への裏切り、宇宙からの攻撃者の手先になる道を選ばせます。
 当然、ネットフリックスが作った『三体』の映画も、文化大革命の狂気を描いている。ところが民衆の残虐なリンチの場面が現代中国を刺激した。こんなことがあるはずはない、西側の悪意に満ちた歪曲だ、中国攻撃だとネット上には不満があふれているらしい。

 ニューヨーク・タイムズのリー・ユアン記者はいいます。
「映画は中国の怒りと嘲り、疑念で迎えられた。この反応は、長年にわたる検閲と統制が中国と世界の関係についての人びとの目をどう変えてきたかを表している。彼らは誇るべきところで誇らず、攻撃に過剰に反応する。エンタメにまじめに反応し、歴史と政治には反応しようとしない。中国の検閲体制は、文化大革命で何が起きたかについて人びとを沈黙させてしまった」

文化大革命(1969年)
(Credit: manhhai, Openverse)

 1966年から1976年にかけ、文化大革命によって「異常な死」をとげた人の数は150万人から800万人にも及ぶといわれます。けれどその歴史はタブーで、中国では誰も語ることができない。あえて語るなら「赤の期間」とか「ご存知の問題」というしかない。それは1989年6月4日の天安門事件がタブーとなり、6月4日をもじって「5月35日」といわれるのとおなじです。いまでは5月35日ということすら危ない。

 中国の新しい世代は文化大革命も天安門も知らず、裏切り者の科学者がなぜ出てきたのか理解できないのではないか。あるいはそんな背景は読み飛ばし、SFのファンタジーだけを追っているのかもしれない。世界的ベストセラーの読み方が、中国人とぼくらではかなりちがっているのかもしれないということ。
 そこに、ぼくらはいつのまにか遠く離れてしまったという思いがまぎれこみます。
(2024年4月10日)