おしゃれな精神科

 先週、ソシオパスについて書きました。
 ソシオパスの人びとのありようというより、そういう名前の付け方、呼び方です。人格障害なんていうのより響きがいい。精神科の関係者と話をしていたら、「おしゃれですね」という声もありました。「あたしはソシオ、なんてね」。

 欧米の精神科では、新しい呼称が次々に出てきます。
 記憶に新しいのは発達障害でしょう。自閉症といわれていた人の一部がアスペルガーになり、それが自閉症スペクトラムに変わった。そういう人たちをひっくるめて「ニューロダイバーシティ」とも呼ぶようにもなりました。神経(脳)多様性ですね。自閉症もアスペルガーもADHDも、何もかもやんわり取りこんだ呼称です。日本語より英語の方がおしゃれかもしれない。

 名称には、治療者と当事者の微妙な関係も内包されています。
 精神科医をはじめ、精神障害に治療面でかかわる人びとは、患者をどう捉えるかで右往左往してきました。アメリカ精神医学会やWHOが精神科の診断基準を改定しつづけてきたけれど、目の前にいる患者、クライアントを把握しきることはできない。一人ひとり、みんなちがう。そこで出てきたのが、スペクトラムだとかダイバーシティという概念でした。
 患者側もそうした医療者側を見ながら、広汎性発達障害という診断名を受け入れることもあれば、自閉症スペクトラムとかニューロダイバーシティという漠とした呼称を使い、そのなかで「当事者としての自分」を捉えようともしてきました。

 そうした人びとからぼくが学んだのは、精神科の診断はよくいえばむずかしい、悪くいえばいいかげんだということです。病名はその人を捉えきれない。多くの精神疾患は重なりあっている。統合失調症とうつ病、うつ病と双極性、双極性とパーソナリティ障害、パーソナリティ障害と依存症が重なり合っている。そのぜんぶが少しずつ出ている「精神病のデパート」みたいな人もいます。まさにダイバーシティ。
 だから診断より大事なことがいっぱいあると、当事者から教えてもらいました。

 最近、もうひとつの新しい表現に出会いました。
「ニューロティピカル」(neurotypical)。
 典型的な神経構造、脳の持ち主という意味です。要するに日本語だと「健常者」ですね。精神障害者やニューロダイバーシティに対するニューロティピカル。そこにはほんのわずかだけれど、平凡な人たち、平板な脳というニュアンスも感じる。
 これはいい。
 ぼくですか? ニューロティピカル。
 そういう方が、健常者なんていうよりずっとおしゃれっぽい。
(2024年3月5日)