スーパーに行かない

 スーパーに買い物に行くより、自然のなかに出かけよう。
 小麦粉ではなくドングリ粉でパンケーキを焼けば、ぼくらの人生は変る。こんな提案をしている科学ジャーナリストがいます。
 そんなことできるわけないだろ、という前に、日常を超えた発想を楽しみたい。そこから何かが出てくる。そんなことを思わせる長文のエッセイがありました(Ditch Your Grocery Store. Go Foraging Instead. By Gabriel Popkin. August 15, 2022, The Washington Post)。

 たとえばドングリ。温帯地方ならどこにでもあるこの木の実は、殻をむいて粉に挽き、ていねいに水に晒すと栄養豊富な食料になります。
 石器時代の人類にとって重要な食料でした。縄文人もよくドングリを食べていた。
 ドングリ食はもともと、ぼくら人類の日常だったのです。
 40代のジャーナリスト、ガブリエル・ポプキンさんは、こうした自然食を取材してきました。自然のものを食べるだけではなく、自から森や野原に出かけ、木の実や果実、野草を採取して調理する。その対象はもちろんドングリだけでなく、カキや、パパイヤに似たポーポーという果物、タンポポやハコベ、タデ、ナズナの一種など多岐にわたります。いずれも身近な自然のなかで見出すことができる。でも現代人はほとんど見向きもしない。

ポーポーの実 (iStock)

 人間はもともと、7千種類の植物の栄養を取り入れてきたといいます。でもいまぼくらが食べているのはそのうちのごく一部、かぎられた数の穀物や野菜にすぎません。
 それは「単一品種の大量栽培」が人類に富をもたらしたから。富と引き換えに、ぼくらはほとんどの自然食を放棄しました。その結果としての不健康、大資本の支配、環境の破壊。そうしたあり方への離反としての自然食。

 さまざまな自然食派の実践が紹介されています。
 森で果実を拾う人、野原でタデを探す人、自然食材をネットで売る人、採取された野草を出す高級レストラン、500万のフォロワーがいる自然食の動画制作者。先住民文化にもともとあった自然食が見直され、回帰する動きもあります。
 とはいえ自然食は社会を変える運動ではない。みんな自分の楽しみとしてかかわっている。食の、自然の多様性を楽しんでいる。

 ポプキンさんの記事には、こんな意味のこともあります。
「自然食は静かに、少しずつ人生を変える。自然食は消費経済に依存するのではなく、その裾野を広げるだろう」
 消費するだけはない経済、そういうしくみとしての自然食の広がりに期待しましょう。
(2022年9月7日)