不可視化の老い

 老いについてのエッセーがいくつか目につきました。
 目についたというより、ぼく自身の興味がそこに向いているからでしょう。たとえばR・ローゼンブラットさんという作家は83歳になり、タクシーの乗り降りが重労働になったといいます。降りようとしても足が持ち上がらない。3年前はこうじゃなかった。老いは、本に書いてあるようなことじゃないといいます(What They Don’t Tell You About Getting Old. By Roger Rosenblatt. Sept. 30, 2023. The New York Times)。

 老いは、高齢者に日々新しい「発見」をもたらします。
 そのひとつが、医者と医療が避けようもなく迫ってくることでしょう。
「ある日の朝、心電図を取り、午後は眼科医と相談する。瞳孔専門家の予約を取り、かかりつけ医に健康診断の結果について聞き、歯医者を予約する。いまでは医療用語にめっぽう詳しくなった。血管閉塞だの酸素分圧濃度だの」

 ローゼンブラットさんのような高齢者を診ている、医師のD・チョクシさんが別のエッセーでいっていました。
「100歳まで生きたいという人はほとんどいない。それより年取っても自立し、痛みやつらさがない状態でいたいという。そういう価値観が尊重されていない」(Forget About Living to 100. Let’s Live Healthier Instead. By Dave A. Chokshi. Sept. 28, 2023. The New York Times)。

 現代社会は、年寄りは長生きすればいいと思っている。でも年寄り自身は、長生きよりも健康だと思っている。ここに微妙なズレがあります。
 チョクシ医師は、これからの高齢化社会は平均寿命ではなく、「健康年齢」の伸びを考えるべきだといいます。病気ではなく、健康でいる年齢を伸ばすこと。イギリスは2030年までに健康年齢を5歳伸ばすという目標を立てました。アメリカも見習うべきだといいます。もしも健康年齢を1歳伸ばすことができれば、社会全体では7250億ドルもの節約になる。

 逆にいうなら、アメリカでもイギリスでも日本でも、「年寄りは健康で長生き」するより「病気で長生き」してくれた方がいい、ってしくみがあるんでしょうか。誰も意図してはいないけれど、結果としてそういうしくみができあがってるかもしれない。それに対抗するためには健康寿命の伸びを、ことにプライマリ・ケアの思いきった充実を目ざすべきでしょう。

 けれどそうしたすべての上に浮びあがるのは、「老いは、本に書いてあるようなことじゃない」というローゼンブラットさんのことばです。
 そうだよなあ、どこにも書いてなかった、誰もいってくれなかった。老いってどういうことか。最近ぼくはよくそう思うようになりました。おなじ年代の高齢者がみな、うなずきます。そう、こんなはずじゃなかった。
 老いは、当事者にも見えないものだったのです。
(2023年10月5日)