五輪をめぐる政治

 消し忘れたタバコの火みたいにくすぶっている問題があります。
 来年のパリ・オリンピックに、ロシア選手の参加を認めるか、認めないか。1年前には認めない立場だったIOC、国際オリンピック委員会は、昨年末から「中立的立場なら参加できる」と、あいまいな方向を打ち出しました。これに怒ったウクライナが、オリンピックのボイコットも辞さないと強硬です。
 ウクライナがいないオリンピック。そこにロシア選手が出ている。これはどう見てもちょっとしらける光景です。

 はっきり声を上げたのは、イギリス政府でした。
 ロシアとベラルーシの選手を参加させるべきではないと、フレイザー文化相がオリンピック協賛企業に手紙を送っています(March 11, 2023, BBC)。
「2012年の開催国だった私たちは、オリンピックがすばらしいイベントで協賛企業の力が欠かせないと知っている。これをロシアとベラルーシのプロパガンダに使わせてはならない」
 そのためにIOCに圧力をかけようと、スポンサー企業に呼びかけている。ずいぶんと思い切った戦術だと思いました。日本の文科相はそんなこと考えもしない。

 ほとんどの日本人にとっては、どうでもいい問題です。
 パリ・オリンピックで、ロシア選手がロシア国旗のもとで入ってきたらまずいかもしれない、でも「中立」で参加するならいいんじゃないかと思うでしょう。
 その下地には、「スポーツと政治は別」という、例の決まり文句がある。それで安心できる。

 でもそれはちがうんじゃないか。
 そう思ったのは、朝日新聞でウクライナのオリンピック選手のインタビューを読んだからです(2月27日デジタル版)。
「私たちは国籍でロシア選手を差別しているのではない。ロシア選手の大半が軍隊や警察と関係が深いことが問題なのだ。国家の支援なしに活動できるアスリートは一握りしかいない」
 ロシア人だから締め出すのではない。プーチン体制の真ん中から出てくるから反対するのだ。いくら中立といっても、彼らが出てくればロシアの宣伝になってしまう、という指摘です。

 そんなこといったら、ウクライナ選手だって宣伝になるじゃないか。そういう反論があるかもしれません。そのとおり。ウクライナにとっても宣伝の場です、オリンピックは。国威発揚、民族統合をあおる政治の場であり、金もうけと汚職の場でもある。
 政治とは関係ないといって目をそらすか、そこにどんな政治が働いているかと目をこらすか。それによってオリンピックはまったくちがった姿に見えます。観客にも選手にも見えない姿が見えてきます。
(2023年3月22日)