支援の形・3

 ゴチャまぜ路線についてゴチャゴチャいうのは、ぼく自身の問題でもあるからです。
 ぼくは認知症になるなら(すでになってるかも)、“楽しい認知症”になりたい。それがいまの人生の目標です。怒ってばかりとかムッツリ機嫌の悪い認知症ではなく、なるべく楽しく笑っているボケ老人になりたい。
 このジーちゃん、自分の名前も家族もわからないけど、なんかニコニコおだやかだよね、といわれるようになりたいのです。
 そのためには、おそらく2つのことが必要なんじゃないか。
 ひとつは、楽しい認知症になれるよう修行を欠かさないこと。
 もうひとつは、環境。

 修行は、認知行動療法をこころがけることでしょう。
 毎日出会うさまざまなことに、不平不満や嫌悪ではなく、いいところ、納得できるところを探し出そうとする、そして「それもまた、いい」と思えるようにすること。
 電車で赤ん坊が泣いたら、うるさい、ではなく、おお、元気な子だがんばれと声援を送る。
 店員がひどかったら、旧ソ連みたいに商品を投げつけないだけいい、よくやってる、と思うことにする。
 キシダさんのひどさに怒るのではなく、だから政権交代の必要を教えてくれているんだと感謝する。
 そういう認知行動療法を、ぼくは精神障害者に教えてもらいました。どんなひどい境遇のなかでも、少しでもいいと思えることを探し出す。生きるためのスキルですね。

 もうひとつの環境、この方がむずかしい。
 ぼくはずっと、環境のモデルとして浦河ひがし町診療所を思い描いてきました。ああいうところにいれば、ぼくも少しは“楽しい認知症”になれるんじゃないか。でもいま住んでいる横浜市にあんなところはない。それをどうやって作るか、みつけるか。これは難題です。なにしろ横浜なんて“スッキリときれいな町”には、ヘンな人がいられませんから。制度や管理や「自立」が先に立ち、ゴチャまぜを、グズグズをきらいますから。

 さてここで、ぼくの考える「医ケア児のこれから」と「認知症のこれから」が合流します。医ケア児も認知症も、どちらもスッキリではなくゴチャゴチャにいた方がいいのではないか。「それだけの世界」にならない方がいい。当事者だけでなく、乳児も学童もおとなも、精神障害のある人もない人も、もちろん「生産性のない人」も、みんながゴッチャにいる。
 そういう環境は、すぐにはできない。ずっとできないかもしれない。でもそっちの方がいいという思いは手放したくない。そっちの方に行くにはどうしたらいいかを考えたい。
 それが、ぼくのいう「別の考え方」です。
(2023年8月10日)