身体あってのAI

 AI、AIって騒ぐけど、「頭」だけじゃだめでしょ。「身体」なしの知能なんてありえない。
 こういう先鋭な視点が目に止まりました。
 ぼくらはAI、人工知能というと超高密度の電子回路とプログラムだと思っている。それに「身体」が必要だなんて夢にも思わない。でもAI研究者のなかには、AIは身体を持たなければ本当の知能にはならないという考え方があるようです(Can Intelligence Be Separated From the Body? April 11, 2023. The New York Times)。

 身体というのは、人間とおなじように感覚を持ち、周囲に反応し、環境に適応しようとするしくみです。
 たとえばカリフォルニアのエンボディド社が作る「モクシー」というロボットは、人間が語りかけると音声で返答し、それに合わせて身体が動く。目も動く。子どもが安心するような笑顔を浮かべることもできます。相手の動きに反応するセンサーを備え、人間の“身体言語”を学びとり習得する。
 エンボディド社の創立者、パオロ・ピルジャニアン博士はいいます。
「このロボットは文字通り、身体で感じることができるようになるんです」

 これまでのロボットは、チャットGPTやGPT-4のような人工知能を備えていたけれど、人間のような身体を持ってはいなかった。だから基本的なところで現実と理論が結びついていないと、デューク大学のボイアン・チェン博士はいいます。
「身体で覚える面がないと、知性は生まれないと思う」
 バーモント大学のジョシュア・ボンガード博士もいいます。
「脳にボディをつけても、知性は生まれません。周囲の環境とのあいだで押したり押されたりしていなければならないんです」
 押したり押されたり。それは痛い思いをしたり危ない目にあったりすることでもある。身体を持つということは限界を知るということにもなります。限界を知ったとき、AIははじめて人間に近い知性となり、人間の友だちになるかもしれない。
「身体は、知的で注意深い行動の基礎になります。安全なAIはこうした筋道からしか生まれません」

 人工知能というものを作り出すうえでの原理的なちがいが、ここには露呈しています。自然言語を徹底して取りこみ、際限なく人間に対して支配的になろうとするAIと、言語だけでは危険な存在になりかねないから、人間的な身体性の限界をAIに組みこもうとする方向。そこにはAI、ロボットの安全性と倫理というもうひとつの課題もからんでいます。
 AIに対する漠然たる違和感は、身体がなく頭だけというところから来ているのかもしれません。
(2023年4月21日)