こころを鎮める

 もうひとつ、「まともな議論」を紹介します。
 まともな議論はほとんど注目されない。退屈であたりまえ、読んだからといってどうということもない、どうすることもできないと思ってしまう。
 でも、まともな議論には効用もあります。
 少しだけれど、読むものに平静をもたらしてくれる。そういう議論のひとつが、イスラエルのガザ侵攻に対する国連事務総長のオピニオンでした(Why Israel Must Reconsider Its Gaza Evacuation Order. By António Guterres. Oct. 13, 2023. The New York Times)。

 アントニオ・グテーレス事務総長はニューヨーク・タイムズへの投稿でこういっています。
 イスラエル軍は、ガザのパレスチナ人110万人に24時間以内の避難を命令した。このように短時間でこれほど多数の市民の避難を命令するのは、壊滅的な人道被害をもたらしかねない。国連事務総長としてイスラエルに再考を求める。
 激しい空爆を受けつづけたガザは、水も食料も電気もない。避難そのものが危険で困難だ。避難よりも、国連による人道支援のへの回路を開いてほしい。ハマスはすべての人質を解放し、イスラエルは一般市民が犠牲となる軍事行動をやめなければならない。

 まともな議論のなかで、目を引く記述がありました。
 グテーレス事務総長は、「恐るべきジェノサイド(大量虐殺)」で、誰もが人間性を失いかけているが、見失ってはならないことがあるといいます。
「残虐と暴力によって基本的真実が隠されてはならない。私たちは誰もがすべて、それぞれが生きてきた現実と集合的な歴史の所産なのだという真実を」
 どんなに非人道的な破壊と殺戮があろうと、それを行うもの、犠牲になるものはどちらも、一人ひとりが日々の暮らしを生きてきたし、それを家族や地域のみんなと生きてきたということ。自分も相手もモノではない、人間なのだということを、別のことばでいっている。この紛争に向けた、単純ではないまなざしがあります。

 それはグテーレスさんがかつて国連難民高等弁務官だったからでしょう。パレスチナに長く滞在し、現地の状況を熟知している。だから今回のハマスの攻撃を「全面的に非難する」といい、またイスラエルの安全保障を求めながら、一方でパレスチナ人が何世代にもわたって土地を奪われ、どこにも行くことができず、国際社会に無視されていることに「かぎりない痛みと怒りを感じる」ともいいます。

 双方が話し合いをするしかない。それを国際社会が支えるしかない。そういう聞き慣れた議論にも、訴え方、語りかけ方というものがあります。いまの国連事務総長には、それができるだけの人間性があると思いました。
 退屈なように見えて、こころ鎮まる論です。
(2023年10月18日)