また起きた大量殺人

 先週、アメリカのメイン州で18人が犠牲となる大量射殺事件がありました。
 容疑者は精神障害者だったかもしれない。アメリカでは銃による大量殺人がしょっちゅう起きるけれど、精神障害者が犯人であることはめずらしい。気になるのでニュースを追っていますが、メディアの論調は冷静です(Gunman in Maine Mass Shooting Had Paranoid Beliefs, Officials Say. Oct. 28, 2023. The New York Times)。

 ひとむかし前の日本だったら(そしてふたむかし前のアメリカでも)、“精神障害者の凶行”と大騒ぎになったでしょう。でも責任あるメディアは“識者のコメント“などいっさいなしで、淡々と事実関係だけを伝えています。事件は次のようなものでした。

 10月25日、メイン州ルイストンのボーリング場で、陸軍予備兵のロバート・カード容疑者40歳が銃を撃ちはじめた。そこから6キロほど離れたバーでも発砲をつづけ、2か所で計18人を射殺、その2日後、容疑者は現場近くで死体となって発見された。自らケガしたことによる死亡と見られる。

 州警察幹部は、容疑者について記者会見でこういっています。
「精神保健の面があったというか、妄想(paranoia)の面があったということだ。記録や伝聞によると被害妄想のようなもの(conspiracy theorist piece)があった。本人は、みんなが自分のことをしゃべってると感じていたようだ。誰かの声がするともいっていたが、そういう声は確認されていない。でもそれが、彼をあの現場に向かわせたのだと思う」
 別の警察幹部は、容疑者が8月に陸軍の訓練場で上官と口論になり、その後精神科の施設で治療を受けたと語っている。
 会見で精神障害ということばは出ていませんが、精神障害者の犯行だったと示唆されています。

 問題は、そこで思考が止まってしまうことでしょう。
 ほとんどの人が、そうか、精神障害だったのかと納得してしまう。そうではない、これは出発点だと思わなければいけません。
 もし統合失調症だったとすれば、40歳にもなって急激に悪化する例はめずらしい。それまで容疑者にはどんなエピソードがあったのか、なかったのか。そうしたエピソードに周囲はどう反応したのか、しなかったのか。エピソードに気づけなかったとすれば、それはなぜだか。
 容疑者はたくさんの銃を持っていた。すべて合法的に買っている。自傷他害のおそれがある人に銃を持たせるのは問題だのに、それがわからなかったとすればなぜか。わかっても防げなかったとするなら、どこに問題があったのだろう。犯行には計画性や冷静さをうかがわせる面もある。ほんとうに精神障害者の犯行だったのだろうか。

 疑問は山ほど出てきます。アメリカのジャーナリストはきっとそこを掘りさげるでしょう。優れた記者なら、「精神障害」や「銃社会」というありきたりな結論には向かわないはずです。
(2023年10月31日)