ガザと広島

 アメリカの国会議員が、ガザを「長崎や広島にしろ」と発言し、話題になりました。
 本人は核爆弾を落とせという意味ではない、戦争を早く終わらせろという意味だったといっている。でもこういう「うっかり発言」を通して、広島長崎をめぐる一般的なアメリカ人の心情が浮かびあがります(Republican Congressman Says of Gaza: ‘It Should Be Like Nagasaki and Hiroshima’ March 31, 2024. The New York Times)。

ティム・ウォルバーグ下院議員(共和党)

 発言したのは共和党のティム・ウォルバーグ下院議員です。ミシガン州選出の72歳。3月25日夜、地元のダンディーという町で行われたタウンホール・ミーティングで、アメリカはなぜガザの難民支援に金を使うのかと質問されたのに対し、こう答えています。
「人道援助なんかに1銭も使うべきではない。あれは長崎や広島のようになるべきだ。さっさと終わらせよう。ウクライナもおなじ、プーチンをさっさと打ち負かすことだ」
 たしかにガザに核兵器を落とせとはいっていない。でも発言のトーンは、第二次大戦でアメリカが広島長崎に原爆を落として日本がたちまち降伏したように、ガザの紛争も短期間できっぱりけりをつけるべきだと聞こえる。イスラエル軍に対し、強硬な軍事行動を求めているようでもある。

 ウォルバーグ議員は、さっさと終わらせろというとき、それを「する方」のことしか頭になく、「される方」のことは考えていない。ガザで軍事行動を強行すればたくさんの人が死ぬということ、犠牲者の多くが一般市民であり、子どもであることを考えていない。原爆の投下を地上からではなく、1万メートルの上空からながめている。そのおなじ視線でガザを見ています。
 パレスチナ系アメリカ人で、元下院議員のジャスティン・アマシュさんは、これは「人間の苦難に対する完全な無関心」だと強く批判している。けれど保守派や共和党員だけでなく、大多数のアメリカ人はウォルバーグ議員の発言にさしたる違和感を覚えないでしょう。ちょっといいすぎたかもしれない、くらいの受け止め方で。

原爆投下時刻で止まった時計(広島平和記念資料館)

 広島、長崎がどれほど訴えても、大多数のアメリカ人のこころには届かない。ウォルバーグ議員のような発言がくり返される。それは被爆の「被害」だけを訴える日本人の言説が、普遍性を獲得していないからではないかという気がしてなりません。広島、長崎がガザの事態に「やめろ」と声をあげていたら、少なくともパレスチナ系アメリカ人は広島、長崎を見直すのではないか。

 もしも広島、長崎がパレスチナと連帯していたならば、そして日本の戦争被害を受けた中国や朝鮮半島その他の多くの地域の人びとと連帯できていたならば、そのときにはじめて広島、長崎の訴えは一定の普遍性を獲得するのではないか。そんなふうにも思うのです。普遍性はひとつじゃない、国の数だけあると反論があるかもしれないけれど。
 ウォルバーグ議員とは別の意味で、ぼくは広島長崎がガザとつながることを願います。
(2024年4月3日)