コロナの闇

 先週木曜日、北海道浦河町から横浜の自宅に移動しました。
 ぼくの母親がコロナに感染し、横浜の病院に入院したためです。
 母は100歳ですから、何があっても不思議はない、とりあえずはそばにいなければなりません。ところが入院したのはいいけれど面会禁止、病室にも行けない。何のために浦河から横浜に移動したのかわからなくなりました。

(資料映像)

 母は老人ホームで8月23日、食べ物を喉につまらせ、翌日38度台の熱が出ました。念のために検査したところ、24日になってコロナ陽性と判明しています。
 ぼくが横浜の病院にたどりついたのは、入院2日後の26日でした。
 ナースステーションに行くと、チョー忙しそうな看護師さんが早口で説明してくれます。コロナだと規則で10日間は隔離、酸素と点滴で治療、きょうは37度の熱、といった内容。見通しはわからないし、医者にも会えない。会わせてくれといいだせる雰囲気でもありません。

 後刻、主治医から携帯に電話がありました。
 そこでわかったのは、なんと病院の検査ではコロナ陰性だったのです。でも一度でも陽性になると規定で10日は入院しなければならない。熱があるから肺炎とみて抗生剤を投与し、経過を見るということでした。
 この段階でわかったのは、母はたぶん誤嚥性肺炎だろうけれど、よくなっても10日間は退院できないということです。家族は遠くから姿を見ることもできない。もし母がこのまま最期を迎えても、臨終に立ち会えません。「コロナではない」のに!

 これはおかしい。
 老人ホームのスタッフも搬送に当たった救急車の人たちも、搬送の指示を出した保健所も、そしてまた入院先の医師も看護師も、「いっぺん陽性だったらコロナとして扱う」といいます。家族はいっさいの接触を絶たれます。

 すべては感染防止のため。
 だからといって、本人に会えず見ることもできないのはどうみてもおかしい。
 ぼく自身はPCR検査でも何でも受けて、1週間ホテルに隔離されてもいいから最期は母を看取りたい。それも禁止する感染防止って、どういう意味があるんでしょうか。
 医療機関の密室化、過剰反応。「社会防衛」という錦の御旗のもとに個が極限にまで抑圧される。理不尽だという思いがつのります。
(2022年8月29日)