ミートゥーは死んだか

 カタカナで書くとかえってわかりにくい。#MeToo のことです。
 性的暴力を受けた女性が声を上げ、その声に触発されて自分もそうだった、自分も、と、女性たちが続々声を上げた現象です。SNSで野火のように広がったのは5年ほど前だっでしょうか、それで社会は大きく変わったと思われました。
 その火がいま、消えかけているというのです。

 ミートゥーが勢いを失っているという論調は、新しいものではない。それがいままた浮上したのは、映画俳優のジョニー・デップさんとアンバー・ハードさんの裁判で、男性のデップさんに有利な判決が出たからです。

 被害を訴える女性が声を上げたけれど、訴えどおりにならない。そういう例がいくつも出てきた。社会がそう受け止めるような流れがある。なにかが変わったのかと、ニューヨーク・タイムズのスペンサー・ボカトリンデル編集委員がさまざまなメディア上の発言を分析しています(Is the #MeToo Movement Dying? June 8, 2022, By Spencer Bokat-Lindell, The New York Times)。

 ミートゥーには、最初にハリウッドの映画産業で起きたときから反発がありました。セクハラや性暴力の加害者とされた男性たちはいつのまにか、何もなかったかのように元の地位に復帰していると、マイアミ大学のメアリ・フランクス教授はいいます(Politico紙)。

 それどころか、DVはいまだに表面化せずつづいている。司法省によれば2017年にはDVの47%が警察に報告されたけれど、2020年には41%に低下しています。またミートゥー運動が起きた直後、一時的に減った職場のセクハラは、その後ちゃんと増加に転じているとハーバード・ビジネス・レビューはいいます。ダニエル・バーンスタインさんは、女性たちが訴えを起こしても裁判は30年前とおなじ形で進行するだけだともいう(Atlantic誌)。

 その一方、ミートゥーはしっかり生き残っていると活動家のタラナ・バークさんは主張します。ひとつ二つの裁判がどういう結果になろうと、ミートゥーのハッシュタグは何百万もの女性にとって意味がある。性的な被害を受けたら自分はやっぱり声を上げると答えた女性が、2021年の世論調査では54%に達しているし、何よりも行政や企業が対策を取るようになったのだから。

アミア・スリニバサン教授
(本人の Twitter から)

 さまざまな議論の最後に、ボカトリンデル編集委員はオクスフォード大学の哲学者、アミア・スリニバサン教授の著作  (The Right to Sex) を引用しています。教授はミートゥーを進める女性たちを肯定しながらも、彼女らが男性の“処罰”を重視しすぎるなら、それは真のフェミニズムにならないし女性は解放されないといっている。深いですね。
(2022年6月9日)