常識を捨てる

 がん治療の風景が変わっている。
 しばらく前まで、早期のがんは治せるけれど進行がんは治せないというのが医学の常識でした。それが、気がつけばいまはもう末期のがんでも延命が可能で、日常生活をとりもどせるものがある、そういうがんはもはや死の病ではなく「慢性疾患」にすぎないと、ジャーナリストのケイト・ピッカートさんが書いています(Is a Revolution in Cancer Treatment Within Reach? By Kate Pickert. June 16, 2023. The New York Times)。

 これはパラダイム・シフトだそうです。
 これまでどうしても打ち破れなかった「末期がんの壁」を、この10年、臨床の場に登場した2つの系統のがん治療薬が打ち破っている。この2種類の薬は従来の抗がん剤とはまったく異なる新しい機序に基づいています。
 ひとつは免疫療法剤(immunotherapy drug)と呼ばれる一群の薬。これは免疫の力を利用し、がん細胞を正常細胞と区別して攻撃できるようにします。最初の免疫療法剤は2011年に認可されました。そのひとつが4年後、カーター元大統領に投与されている。悪性黒色腫が脳に転移し、余命1年といわれた元大統領は8年後のいまも生存しており、免疫療法剤が著効を奏した例といえるでしょう。

 もうひとつの系統の治療薬が、ADC(antibody-drug conjugates 抗体薬物複合体)です。
 これはがん組織の表面にある抗原を使い、身体の他の部分には害を与えず、がん組織だけに強力な抗がん剤を送り込もうとします。このタイプの薬は過去5年間、少なくとも5種類が認可されました。そのひとつが乳がんに対する薬で、進行した乳がんに画期的な成果をあげたという学会での発表はスタンディング・オベーションを受けるほどでした。

 こうした新しいタイプの薬剤が、がん治療の風景を変えたとピッカートさんはいいます。
「転移がんの患者も従来の予測よりずっと長生きするようになった。完治する例もあるなど、数年前まで医師も患者も予測できなかった。転移がんでも、ひとつの治療から別の治療へと切り替えていけばいい。豊富な選択肢が、ますます多くの患者の生存期間をさらに延ばしている」
 いまの薬剤が効果をなくしたら、次のタイプに変えればいい。次々とがん細胞の力を押さえていれば、患者はずっと生き延びることができる。しかも従来の副作用の強い抗がん剤とはちがい、新しいタイプの薬はほぼ健康な日常をもたらしてくれる。
「いまやがんはこうした患者にとって、致命的なできごとというよりは慢性病に近い」

 ぼくは20年近く前、『希望のがん治療』という本を書きました。抗がん剤のような攻撃的な医療はやめて、もっと患者の治る力、免疫力を尊重したほうがいいと訴えたつもりです。でもそのころは「免疫療法」なんてニセモノ、うさんくさいとしかいわれなかった。隔世の感があります。
(2023年6月19日)