消える境界

 きのうは写真展について書きましたが、きょうは写真集について。
『ぼくは日高本線が大好きだった』という本があります。友人の息子で、大学生の伊藤未知さんが写真を撮り、文を書きました。テーマはJR日高本線。いわゆる鉄道マニア本かというと、そうではない、ちょっと趣のある出版です。

『ぼくは日高本線が大好きだった』伊藤未知、小松書館、2023年

 日高本線というのは北海道南部の日高地方を走っていたJRのローカル線で、苫小牧から様似まで、太平洋岸につらなる29の駅を結び、1日数本が運行されていました。途中に浦河という町があったので、そこまで行くのにぼくも何度か乗ったことがあります。
 この日高本線が2015年、高波の被害にあって線路の土台が崩れ、運行できなくなりました。復旧を求める地元の声は強かったけれど、もともと典型的なJRの赤字路線だったので再建はむずかしく、2年前、正式に廃線となりました。
 その日高本線の、往時をしのぶ写真集です。

 なつかしい風景がいっぱいありました。
 単線を、たった1両か2両の気動車が走ります。朝夕は通学の高校生が乗るけれど、だいたい車内はがらがら、ガタゴト揺れるボックス席でこの上なくのんびりした旅が楽しめました。もしも新幹線が「スピードいのち」だとすれば、日高本線は「スローいのち」、旅というものが宝石箱をのぞき込むような経験としてあった、遠い日々の名残がありました。

(同書より)

 著者の伊藤未知さんは、日高本線が走っていた浦河町の生まれです。毎日、学校の近くを通る気動車の音を聞いていました。このローカル列車が大好きになり、小学生でありながらカメラを持って、日高本線の始発から終点まで、29すべての駅を撮影しています。今回その写真をキャプションとともにまとめたのが、『ぼくは日高本線が大好きだった』でした。
 大学生が作った本は、小学生の作品集だったわけです。
 本人は、だから「すごく下手だと思います」というけれど、小学生の記録というところに意味がある。「日高本線が大好き」だった子どもが、ねらいも技巧も何もないままに、日高本線の日常を無心に捉えている。それをごろっと並べただけの写真集。ページをめくるたびに現れる無人駅の羅列に、ぼくはふしぎな感慨を覚えました。写真集そのものに、日高本線が乗り移っているのではないか。

 本の現れ方も、“ローカル的”です。
 オンデマンド出版という形をとっているので、注文すれば出版社(小松書館)がそのつど、1部を製本して送ってくれます。アマゾンのネット販売にも乗っている。だから大学生でも企画さえしっかりしていれば気軽に本が出せるようになりました。本と、そうでないものの境界は、デジタルの世界ではもう見分けがつかないほどに混沌としています。
(2023年7月19日)