ミシュランの裏側

 あのミシュランも、苦労してるんだな。軽いため息が出ました。
 ミシュランガイド、世界の食通が参照するレストランガイドです。この本に紹介されるだけでもたいしたものだし、もし「三つ星」がついたらそのレストランは文句なしに世界のトップレベル、海外から飛行機に乗ってくる客がいても不思議はありません。
 かつてぼくも、自分の行ったレストランがミシュランで星を取るとひそかにほくそ笑みました。同時に、星を取ったらもう終わり、予約が取れなくなるとなげいたものです。

 世にレストランガイドはたくさんあるけれど、ミシュランガイドが孤高の地位を保っているのは、掲載するレストランへの公正な評価を貫いているから。そこは日本のいわゆるグルメ・サイトとはちがいます。高評価の裏はどうなっているのかさぐる記事がありました(Michelin’s Coveted Stars Can Come With Some Costs. Sept. 12, 2023. The New York Times)。

ミシュランガイド(日本、東京版)

 それによると、広告も掲載料もいっさい受け取らないミシュランガイドは、一時経営難に陥りました。2010年にコンサルタント会社「アクセンチュア」を雇い、それまでの方針を変えて「個々のレストランからは金を取らないが、団体からは取る」ことにしたそうです。たとえば、ロサンゼルス観光協会から70万ドルの「パートナーシップ料金」を受け取り、その対価としてロサンゼルスのレストランをガイドに載せる。このやり方だと、ロサンゼルスからちょっと外れていたら、どんないいレストランも掲載されないということになります。
 こうしてミシュランは、ワシントンやシカゴに進出しました。そういう金を払わないニューオーリーンズやニューイングランドは、ミシュラン「空白地帯」です。

 観光業界や自治体がそうせざるをえないほど、ミシュランの影響は大きい。たんに経済効果だけでなく、レストランや料理人の存在理由にもなっている。ミシュランの星の数を誇りとするシェフは多いし、星の数を減らされて自殺したシェフもいるらしい。もちろん超高額の料金や技巧に走った料理への批判は強く、「ミシュラン文化」と縁を切るシェフもいます。もっとエコな取り組みやヴィーガン食に目を向けるべきだという声もある。でもオリンピックとおなじように、ミシュランは当分、食の世界に君臨するでしょう。

 かつてはぼくも、ミシュランが気になりました。でもいまはもうそうではありません。
 歳のせいでもあるけれど、自分の人生をふり返って思い出すのは美食ではなく宴(うたげ)だとわかるからです。どんなおいしい食べ物も、どんな豪華なレストランも、それをともにする「人」と「ことば」がなければ意味がない。ときには、七輪の炭火で焼いただけのイワシだって最高の宴になる。そこに楽しい人の輪と会話があったなら。
 記憶に残るのは、おいしさより楽しさです。ミシュランも、そこまではめんどうをみてくれません。
(2023年9月20日)