それは誰のものか

 アメリカの一部で、日本車のスバルが売れないそうです。
 消費者保護をうたったマサチューセッツ州の新しい法律が、たまたまスバルにとって不利になったらしい。その核心にあるのは「車の情報は誰のものか」という問題でした(Now that cars are like smartphones, we don’t really own them. November 10, 2023. The Washington Post)。

 ちょっとややこしい話です。
 背景にあるのは、いまの車が「タイヤを付けたコンピュータ」だという現実でしょう。カーナビやオートロックだけでなく、最新モデルは無数のミニ・コンピュータで車とドライバーの状態を把握する。どんなスピードでどんなブレーキをかけているかまで記録し、ブレーキパッドの交換時期も知らせてくれます。そういうデータは、メーカーの正規代理店だけがアクセスして修理に使えるようになっている。
 これはドライバー、消費者の「修理権」を奪っているというのが新しい法律の考え方です。

 マサチューセッツ州で2020年、メイン州で今週出てきた「自動車データ法」とでも呼ぶべき法律は、自動車の修理は正規代理店だけでなく、どの修理業者でもできるようにすべきだとしています。正規代理店が修理すればかならず料金が高くなる。それを阻止して修理権を守ろうということで、いずれも州民の圧倒的多数の支持で成立しました。

 どの業者でも修理できるようにするためには、誰でも「車のデータ」を取り出せるようにしなければならない。メーカーはここに異議を唱えます。そんなことをしたらドライバーのプライバシーまで侵害されるということでしょうか、スバルはソフトウェアの一部を止めました。このためマサチューセッツ州で販売する車は緊急時の自動通報ができないなど、いくつかの機能が使えなくなった。それが売上減につながったらしい。

 修理権は、車だけでなく、スマホやパソコンなど多くのハイテク機器の問題です。日本では目立たないこの消費者運動が、ヨーロッパではじまりアメリカで広がっていることをこのブログで伝えてきました(2022年5月5日ほか)。修理権を求めるのは、安易な使い捨てをやめ、つねに新モデルへの買い替えを消費者に求めるメーカーの戦略を拒否しよう、地球環境を守ろうという運動でもある。
 そこには、車やスマホは「いったい誰のものか」という疑問も浮かびます。
 ぼくらは自分のものだと思っている。でも実態としてはほとんどメーカーのものではないのか。それを通してぼくらがメーカーに囲いこまれ、操られるツールではないのか。そんな思いが年とともに強まります。
 修理権の運動がもっと力を得て、日本でも広がってほしい。
(2023年11月14日)