神経多様性・2

 きのうの自閉症議論の補足です。

 ぼくは50年前から自閉症について関心を持ってきました。
 この間、自閉症をめぐる概念はずいぶん変わったと思います。自閉症者は長らく、奇妙な行動にこだわり、他人とのコミュニケーションをが取れない「とてもやっかいな人」とみなされてきた。けれどそれは、彼らを「ふつうの人」に合わせようとしたからで、そんなことをしなければ彼らとの関係性は変わることがだんだんわかってきたと思います。

 ひとつの例は、東田直樹さんの著書『自閉症の僕が跳びはねる理由』(角川文庫、2016年。原著は2007年)でした。このブログでも紹介しています(2021年6月25日)。東田さんは、自分のような自閉症者が奇声を発したり飛びはねたりするのは、不安だったり衝動があったりするからで、自分は家族や友だちと仲よくしたいのだといいます。
「僕たちは、自閉症でいることが普通なので、普通がどんなものか本当は分かっていません。 自分を好きになれるのなら、普通でも自閉症でもどちらでもいいのです」
 当事者が声をあげ、ぼくらははじめて「そうか、そうだったんだー」と、白黒の世界がカラーになったような衝撃を受けました。

 けれど他方には、重度自閉症と呼ばれる人びとがいる。
 発語はなく自傷行為をくり返し、24時間見守りが必要な人びと。彼らは重症であるがゆえに特別なサービスが必要だと親は訴える。その訴えは切実です。
 おなじ自閉症だのに、この幅の広さは何なのか。
 それは2013年、アメリカで精神科の基準となる診断マニュアル「DSM」が改訂されたからでしょう。それまでアスペルガー症候群や高機能自閉症など4つのカテゴリーに分類されていた自閉症が、「自閉症スペクトラム障害」という単一のカテゴリーにまとめられました。神経多様性(ニューロダイバーシティ)という考え方の表れです。
 人間の脳は、かくも多様な形を取るということ。それは、人間は「健常者」や「正常人」をもとにした単純なモデルでは規定できないという思想でもある。

 けれどもいま、神経多様性という概念もまた多様な議論にさらされています。
 自閉症と診断され、精神科に1年入院した経験もあるスタンフォード大学の学生、ルーシー・K・ウォレスさんはいいます。
「問題は山積しているのに、共通の診断がみんなを結び合わせるのではなく、むしろ引き裂いている」
 病気、障害、個性、多様性。どんな議論をどう進めるときでも当事者の声、現場の声を踏まえなければならない。その声が引き裂かれているところで、模索はつづきます。
(2023年11月24日)